論争勃発! 小学校の英語教育は意味がない!? 日本の英語教育を変えるキーパーソン 水野 稚(1)

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ALTを日本全国均等に配置すべき

安河内:教育の機会均等というのは、文科省がその義務として実現しなければならないことなので、私の意見では、やるからには、ALT(外国語指導助手)は日本全国津々浦々、隅々まで均等に配置するべきだと思います。そうでないと、水野先生がおっしゃったような問題が起こるというのは間違いありませんね。前提として、ALTの均等配置と教員の研修はやっていかなければならないと思います。

水野:予算的にも人材的にも、どう考えても無理です。小学校って全国でいくつあると思いますか。

安河内:現在、ALTはいくつかの小学校を掛け持ちで回っていますよね。ALTの数、そして予算の問題で各自治体で格差が出ています。それを均等化するのは国の責任だと思います。水野先生は、ALTの均等配置ができないから反対とおっしゃっているのですか。

水野:いいえ。ALTに国家100年の計である教育を任せていいのかと疑っているのです。ALTの質にもわたしは大きく疑問を抱いています。日本語もできず、外国語を学ぶ大変さもわからず、ただ英語ができるネーティブだからといって、教育学の資格もなく言語学も知らない人に、大事な初期教育を委ねるというのは、理解に苦しみます。

安河内:私も以前は水野先生と同じような意見だったんですよ。ただ、最近、小学校の視察に行くようになって、ALTが実際にしている授業を見て、ALTの若者たちと話をする機会を得て……。

水野:彼らはプロじゃないでしょ。

安河内:いや、プロじゃなくていいんだ、と思うようになったんですよ。文科省の作ったALTプログラムの中で、アクティビティとして一部をALTがやるのです。管理された中でのALTの若者を使った活動なんですよ。

日本人教師だけでは何がいけない?

水野:なぜ若者じゃなければならないのですか。

安河内:これは、私にはひとつ思いがあるんです。ALTの若者たちは日本の子どもたちをたくさん教えて、日本語も覚えて帰るし、日本のファンになって帰るわけですよ。本当に教育学を修めた人がキチッと授業をするより、若者が楽しく触れ合っているほうが、子どもたちとしても親しみが持てて、コミュニケーションがとれていると、私は感じたんですね。もちろん、質のよくないALTもいますが。

水野:第一に外国人に任せてしまうというのはどうでしょうか。

安河内:任せてはいないんですよ。必ず日本人教師がついて、スーパーバイズしています。ALTと日本人教師とのペアティーチングでやっているのです。

水野:ネーティブのような英語力を身に付けなくてもいいと文科省は言っているのに、日本人教師だけが教えるのでは、何がいけないのでしょうか。

安河内:ALTプログラムで、たとえば、肌の色や髪の毛の色が違う外国人が教室にやって来て、そういう人たちと子どもたちが触れ合うだけでも意味があると思います。

水野:そうなると冒頭の問題に戻って、やはりそういう機会に恵まれるのは都市部の子どもたちに限られるのではないでしょうか。山間部や離島の子どもたちはスクリーン越しにしかALTには会えないということになり、格差が生まれます。実現不可能なことをできるかのように言うのはよくないと思いますが。

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