安河内:私はやらなくてはならないと思います。
水野:日本だけにそんなに優秀なネーティブスピーカーが集まってくれると思いますか。
安河内:優秀な人だけが集まるとは思いません。
水野:日本の学校の先生はものすごく勉強して、ものすごく難関の試験を突破して教壇にやっと立てている。教育の現場に立つ人はそういう人でなければ困るわけです。それなのに英語だけはそんな素人を入れて、算数や理科ではそんなことは許されますか。
安河内:算数の授業でも町の八百屋さんを呼んで、たとえば「今日は会計のやり方を教えてもらいましょう」みたいな、ALTってそういう存在なんですよ。
水野:そんなのは週に何度もやらないですよね。
安河内:ALTも週に何度も来るわけではなくて、基本的な英語の授業のゲストとして来てもらうくらいしか、実現できないと思うんですね。
哲学と理念が見えない
水野:でも、英語だけがどうしてそんなに特別扱いなのですか? 社会とか理科とか体育とか音楽とかありますが。そんなにまでして予算をつぎ込んで小学校で英語教育を行って、いったい日本の子どもたちをどうしたいのかという、哲学と理念が見えてこないのです。
安河内:私も以前は、小学校の英語教育を増やすことには懐疑的でした。しかし、やると決まったからには、適切にやっていかなければならないという立場で話をしています。現実的な問題として、あと6年したら小学校英語教育は実行されるのですから、今のまま深く考えないでやってしまうと、めちゃくちゃなことになると危惧しているのです。
水野:私はめちゃくちゃなことになる可能性のほうが高いと思っています。
安河内:めちゃくちゃになる可能性が高いからこそ、しっかりとしたプランニングをしなくちゃいけないと。そういう意味で言うと、英語教育の入り口である小学校英語と同時に、出口である大学受験の英語も変えておかないと、いくら小学校からやったって、いい結果にはつながらないということにもなります。現状では入り口と出口、ふたつの大きな問題があるのです。これはまた別の問題ですから、別の機会にしますが。
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