ネズミも「孤独」にストレスを感じる生き物だ そしてネズミも「諦める」ことを知っている
また、この強制水泳試験が確立される20年ほど前に行われた同様の実験では、強制水泳に水噴射を加えて、〝生きる〟か〝死ぬか〟の状況で泳がせるというものがあった。
15分で諦めてしまうものも60時間を超えて泳ぎ続けるものもいたという。
ラットやマウスの週齢(7日を1期とする数え方)や性別、餌や血統などの条件を揃えて実験を行っているので、これらの差は身体的な能力の差ではなく、すぐ諦めるか否かといった性格的な個体差であると考えられる。
これは、実験動物に苦痛を与えないよう厳しい倫理的な審査を行っている現在では、まず実行されない実験であるのでご安心いただきたい。
ちなみに抗うつ剤のほかに無動時間を短縮させるものがある。それは「成功体験」である。
強制水泳を行っているラットを救出し、後日再び実験を行うことを繰り返すと、ほとんどのラットが60時間泳ぐようになったという。泳ぎ続ければ助かる(救出される)ことを知っていれば、元々の性格にかかわらず諦めないことができるのである。
私たちも「落ちこぼれの猿」だった
ウォルト・ディズニーをはじめとする、諦めないことの大切さを説いた名言を残した偉大な先人たちは、(これらのラットのように)自分自身の経験から、その先には必ず光があると伝えたかったのだろう。
そもそも人間は、動物の中において比較的「諦めないこと」が得意な種である。
すぐに諦めてしまうと思っている人だって、動物全体で見たときにはなかなかのエリートだ。
私たちには鋭い爪も硬い角もない。体を守ってくれる甲羅もなければ、寒さに耐える被毛も少ない。
そんな人間にもほかの動物と比較して得意なことがいくつかある。上手投げの投擲、いわゆるボール投げができるのは人間だけだし、汗で体温をコントロールできるため、暑さには滅法強い。そして何と言っても、特筆すべきは諦めずに歩き続ける力である。
私たちの祖先がどのような道をたどって今に至るか、完璧に解明されているわけではないが、推測されるに落ちこぼれの猿であった。
気候変動によって森林が後退し、我々の祖先は元いた地で十分に餌を得ることができなくなった。樹上での生活を諦め、できるだけ多くの餌を求め、運搬するために二足歩行を始めたのだ。
このとき、この歩く能力こそが人間を人間たらしめることになるとは、誰も思わなかったはずだ。
1つの手段を諦めてほかの手段を試してみてもいいし、夢を諦めて、ほかの夢を目指してみてもいい。一度諦めたことは敗北ではない。600万年ものトライ・アンド・エラーの末に私たちは生きている。
諦めないことは素晴らしいものだと思う。諦めることとちょうど同じくらいに。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら