名探偵が関係者を「全員集合」させたがるワケ 事件の解決は論理的に魅せることが大切だ
あまり意識されないことだが、いちばん大切なのは、「誰がどんなふうに解決するか」ではないかと思っている。これは、「警察」なのか「探偵」なのか、という話ではない。それは、物語の必要に応じて変えればいいことだ。もっと言えば、ひとりよがりにならない程度に、好みで設定すればいい。解決編はミステリ最大の山場でありクライマックスだから、自分が最ものれる設定にするのが一番だ。
中には、まったく捜査をしない探偵もいて、俗に「安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)」と呼ばれる。
「ABCショップ」という喫茶店の隅に座る老人が、その店の常連の新聞記者に、世間を騒がせる事件についての推理を話して聞かせる、バロネス・オルツィの『隅の老人の事件簿』がその先駆と言われる。
あるいは、入院などで動けず、ベッドの上で事件の概要を聞いて推理するのを「ベッド・ディテクティブ」と言ったりもする。
15世紀に実在したイングランド王・リチャード3世の「冤罪」を、史料だけから推理するジョセフィン・テイの『時の娘』、「源義経=ジンギスカン」説を入院中の名探偵・神津恭介が検証する『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』(高木彬光)、「大化改新の立役者・天智天皇は、弟天武天皇によって暗殺された」という仮説を追う『隠された帝─天智天皇暗殺事件』(井沢元彦)など、なぜか歴史推理と相性がいい。
話を聞くだけで推理するパターン
推理する場所にかかわらず、「話を聞くだけで、そこから推理を組み立てて真相を解明する」タイプの作品を、広く「安楽椅子探偵」ものと呼ぶ。
このタイプで最も有名なものの1つは、ハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」(『九マイルは遠すぎる』所収)だろう。これは、「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」(永井淳訳)というたった一言から推理を広げ、ある結論を導き出すというもの。
それも、「ここから9マイル離れているなら、○○という街だろう」とか、「雨が辛いんだから、荷物が多いのだろう」とか、そんな程度ではなく、もっととんでもない出来事の真実に触れてしまう。丁寧に推論を重ねることで、どれだけの到達が可能なのか、この作品は1つの頂(いただき)を示している。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら