巨人や阪神などは選手獲得に巨費を投じることがあるので「金満球団」と言われるが、後ろ盾となる親会社の売り上げ規模で言えば、パの球団のほうがはるかに「金満」だ。「パ・リーグ球団のほうが貧乏だ」という思い込みは間違いだということがわかる。
なお広島は1950年に親会社なしの「市民球団」として発足したが、1968年に東洋工業(現マツダ)が親会社となる。しかし現在、球団はマツダの連結子会社を外れており、損失補填などもしないことから親会社ではないとされている。
パ・リーグ球団の親会社は、巨大なだけではなくベンチャー企業的な側面を持つ会社が多く、進取の気性に富んでいる。このことも球団のマネジメントの差につながっていると考えられる。
ビジネス的な努力の「差」
パ・リーグは人気面、観客動員面でセ・リーグに大きく後れを取っていたので、これを挽回すべく次々と新たな手を打ってきた。1973年には「2シーズン制」を導入。1975年には「指名打者制」を導入した。「予告先発」や通常は試合が組まれない月曜日に試合を行う「マンデーパ・リーグ」なども打ち出してきた。
「2シーズン制」のように、うまくいかなかったアイデアもあったが「何もしなければ消えてしまう」という危機感が、パ・リーグ球団の企画力を高めたと言うこともできよう。21世紀に入ってからも現在のクライマックス・シリーズの前身であるプレーオフをセ・リーグに先駆けて導入している。
セ・パ両リーグの観客動員の格差が縮まるきっかけとなったのは、平成以降の球団の本拠地移転だ。1989年に南海ホークスは、ダイエーグループに買収され、本拠地が大阪から福岡に変わった。2004年には日本ハムが東京から北海道に移転した。また2005年の球界再編で、楽天が宮城県を本拠として誕生した。この間、セ・リーグで本拠地の県を移転した球団はない。
これらの球団は新しいマーケットで、地域密着型の新しいマーケティングを打ち出した。とりわけダイエーから経営を引き継いだソフトバンクは「ボールパーク構想」を打ち出し、九州一円に熱狂的なファンを創出した。
こうした新たなビジネスモデルは、プロ野球中継の視聴率が低迷し、放映権ビジネスが縮小する中でセ・リーグ球団にも波及したが、パ・リーグのほうが、マーケティングでは一枚上手だ。
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