「夫婦別姓」を容認する人が少なくない背景 夫婦同姓なら家庭の一体感が本当に増すのか
しかし、昭和後半に郊外化が進み、地元とつながりを感じる機会を持てないまま成長する人も増えた。転勤などの家庭の事情で引っ越しが多かった人や、大人になって地元を出た人も多い。そうした人たちの中には、アイデンティティのよりどころは、生まれたときから使う姓名になる人もいるかもしれない。現代人は、子どもの頃から学校や社会で姓を呼ばれる機会が多い。姓を結婚によって失うことが、自分自身を失うように感じる人は大勢いると考えられる。
この"差別"には、国際社会からも関心が持たれている。国連は2003年に、夫婦同姓強制の規定を差別的だと撤廃を求め、2009年、2016年と3度も勧告している。法制審議会が選択的夫婦別姓導入などを求める答申をしたのは、1996年2月と四半世紀も前のこと。
しかし、民法改正案はいまだ国会に上梓されていない。それどころか、自民党の高市早苗衆議院議員や山谷えり子参議院議員らは、「『絆』を紡ぐ会」(仮称)を設立し、選択的夫婦別姓に異論を唱えようとしている。
「夫婦同姓」は家族に一体感をもたらすのか
11月19日の臨時国会でも、選択的夫婦別姓に前向きな発言する橋本聖子女性活躍大臣に対し、山谷議員は「夫婦別姓は家族のあり方に深くかかわり、慎重な対応が必要」と述べている。自民党は一貫して、夫婦同姓が家族の一体感に必要と主張している。
もしそうだとすれば、夫は実親などの同姓の親族と一体感を持ち続け、姓を奪われる妻は、実親との一体感が損なわれることになる。妻は結婚によって、実家と疎遠にならなければならないのだろうか。それでは、戦前のイエ制度と変わらない。
現実には、家族は一体とは限らない。仲は良いが、夫婦が互いの違いを認め、子どもの異なる考えを尊重する家庭はある。離婚する人もいる。さまざまな事情で家族と疎遠になる人もいる。家族の絆は必ずしも、互いの名字が一緒だから育まれるものではない。逆に、家庭内殺人などの犯罪も、事実婚の家庭だけのものでもない。
子どもが、両親の名字が異なると困るという主張も、離婚再婚が珍しくない現状とは相いれない。子どもが通う学校に、親が離婚した、あるいは再婚した、シングルペアレントの同級生がいることは、もはや珍しくない。子ども自身が、その当事者であることもある。
姓で家族が区別されるなら、離婚した母親のもとで暮らす子度もは父を忘れなければならなくなる。そして、母親が離婚再婚のたびに名字を変えさせられる、成人を含めた未婚の子どもの不便も考慮されるのが望ましい。
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