樹海の民宿若旦那がYouTuberになった切実な訳 順風満帆な経営だったがコロナ禍で事情が一変

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「民宿村は、富士五湖の精進湖のエリアにあります。

昭和41(1966)年に西湖で村がそっくり沈んでしまうような大災害がありました。精進湖の居村は災害のあった西湖の村と非常に似た環境でした」

精進湖の居村もいつ西湖の村と同じような大災害が起きてもおかしくなかった。そのため、居村ごと引っ越すことになったという。

ただ引っ越さない人もいたし、現在も居村に住んでいらっしゃる人はいる。それでも、多くの人が現在の民宿村の場所に引っ越してきた。

「樹海の中を歩いていると、炭を作るための石が積まれた窯の跡を見つけることがあります。ここは、そういう跡地がたくさんある、樹海の中でも仕事で使用されていたエリアだったようです」

民宿丸慶の屋上から見える富士山(筆者撮影)

人命に関わる引っ越しだったので、異例の速さで宅地化された。樹海を切り開き、道路を引き、住宅を建てた。

ただ居村の住人が引っ越したときには、まだ民宿村ではなかったという。

「僕の家は居村に住んでいた頃は、日用品や駄菓子を売る店をやっていたそうです。それで引っ越してからもしばらくは日用品を売って生計を立てていました。

交通の便が悪い場所なので、みんなで助け合って生活していたと思います」

民宿ブームにのって村の家々が次々と民宿に

1970年代に日本各地で民宿ブームが起こり、それに乗じる形で村の家々は次々に民宿としてオープンしていった。

「当時の民宿は今よりもっと堅苦しくない、現在の民泊みたいな雰囲気のお宿だったようです。他人の家にちょいと泊まりにいくような感じですね」

民宿村の風景(筆者撮影)

マサヲさんが生まれたときには、すでに自宅は民宿だった。現在の民宿丸慶の3分の2くらいの大きさだった。

当時は事前に予約する人はほとんどおらず、当日いきなり来て宿泊する人が大半だったそうだ。マサヲさんは、幼い頃から毎日他人が家に泊まりに来ていたので、人が家に来ることにまったく抵抗がなかったという。

小学3年生までは居村にあった小学校へバスで通っていた。

その後、民宿村に隣接する形で小学校が建てられたためそこに通った。全員で40人くらいの人数の少ない学校だった。

ちなみにその小学校は現在、閉校して公園になっている。

閉校した小学校。今は公園になっている(筆者撮影)

「テレビはありましたから、社会の動きについていけないとかはなかったですね。小さいコミュニティですから、みんな顔を知ってて、性格も知ってる感じでした。不便だとはあまり思わなかったです」

「恐怖の森」などと呼ばれることもある樹海だが、幼いマサヲさんにとってはどのような森だったのだろうか?

「当時作文でも書いたのでよく覚えているんですが、すごい大好きな森でした。木漏れ日が綺麗で、樹海の中に秘密基地を作ったりして毎日遊んでました。でも小学校低学年のある日、樹海が『自殺の森』と呼ばれていることを知って驚きました」

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