さらに、節約に関しても今思えば度がすぎたという。
「光熱費がかかるからと冷暖房をつけることを許されず、夏はクーラー、扇風機なし、夜にかろうじて窓を開けました。冬もヒーター、こたつ類は許されず、毛布にくるまって暖を取る。さすがに冬は耐えきれず、途中でどうにか小さなハロゲンヒーターだけ買うことができました」
借金もなく収入は安定。妻の実家が節約家族だったため、彼女にとっては当たり前のことだったようだ。
それでも新婚1カ月での嫌悪感……。そもそも好きで結婚したのだろうか。
「5年間も付き合ったので“結婚するものだ”という選択肢しかなかったですね。彼女や周りから煽られたわけでもなく自分の意思でプロポーズしましたが、結婚が決まったときは“義務”を果たしたような、嬉しさよりホッとした気持ちのほうが強かったです。結婚生活はつらい記憶しかありませんが、当時は結婚ってこういうものなのかなって思いこませていたのかもしれません」
彼女だけが悪いわけではなく、話し合いの場を持たなかった、逃げていた自分にも責任があると語る。実際、彼女にも話を聞けば、杉村さんへの不満ももちろんあっただろう。
離婚を切り出したのは杉村さんから。結婚生活は3年で終止符を打った。28歳だった。
銀行員に転職して後、うつ病を発症
離婚後は杉村さんを取り巻く環境も大きく変化した。仕事は証券会社から銀行員に転職。
心機一転して営業職に就くが、上司との関係がうまく築けずうつ病を発症してしまう。休職と復職を繰り返し、在籍期間3年で退職した。
次に元々興味があった心理の資格取得を目指して大学院に通う。しかしここでも環境に馴染めずうつ病を再発。1年程度で退学し、障害手帳を受けた。残ったのは学費と生活費にあてたカードローン。体調を崩していた親に頼ることもできず、精神的にも追い詰められてしまい、33歳で生活保護を申請した。
「精神障害者として作業所に通うことになりました。箱詰めや部品の仕分け作業を黙々とこなす日々。何でもできると思っていた自分が、落ちるところまで落ちたなぁって……」
その後、再起をかけて2度目の大学院に通うことを決意。今度は親から少し入学金の援助があり、生活保護を脱して心理系の資格を取得し修了した。36歳だった。
しかし、大学院の先生の紹介で非常勤のカウンセラーとして勤務するが、精神的に病んでしまい3カ月程度で退職するケースが2カ所という結果に。
「心理の仕事が向いていないのかなぁって落ち込んで……。カッとなって、心理系の資料や参考書など50冊程度、すべて売りました。時々そうやって衝動的な行動をしてしまうことがあって。翌日には後悔しましたが、捨てているときは必至です……」
無職となった杉村さんは、日雇いや単期間の仕事を転々するが、2回に及ぶ大学院の奨学金や生活費がかさみ、気づけば借金が700~800万にまで膨らんだ。障害年金が支給されるが生活するには足りず、カードのキャッシングだけで100万程になっていた。
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