「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる

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では、日本の学校で疫病の影響力について特別に学ぶ機会は果たしてあるでしょうか。

歴史学者の磯田道史さんとコロナ関連のテレビ番組でご一緒したときに彼が言っていたのは、「日本の場合、形で見える崩壊でなければ史実として残らない」ということでした。

磯田さんの師である経済学者の速水融(あきら)さんによると、1918年に始まったスペイン風邪の流行について、当時の文献にはあまり記述らしいものが見当たらないのだそうです。

自分の子どもや家族への感染を懸念した歌人の与謝野晶子が、「人が密集する場所は早くに休業するべきだったのでは」と、感染抑制の必要性を書き残していたぐらいでした。

戦争や震災の災禍は明確な形で見えますが、疫病のような目に見えないものについては言葉として残らない性質が、日本の歴史にはある。しかし、言葉で書き記されなければその記憶は風化しやすくなるでしょう。辛い経験で得た教訓も、世代交代が繰り返されるうちに、人々のなかに留まりにくくなってしまいます。

西洋美術のなかの「疫病」

ヨーロッパで美術の勉強をする際にも「疫病」はしっかりかかわってきます。なかでも14世紀半ばに欧州で猛威を振るい、何千万もの犠牲者を出したペストのパンデミックは美術史においても大きな意味をなす出来事でした。

このペストの影響で、当時のヨーロッパの人口の3分の1から3分の2が亡くなったとされていますが、このパンデミックが西洋美術にいったいどのような影響を及ぼしたのか。

主に北部ヨーロッパで顕著だったのが、死神としてペストが描かれるパターンです。人間の行いが悪かったために、天罰としてペストという悪が骸骨の姿で地上に降りてきて、人々を懲らしめているという地獄絵図のような絵画がたくさん残っています。

これは1300年代後半から1400年代初頭にかけてヨーロッパに広がった「死の舞踏」と呼ばれる様式で、イタリアやフランスの美術にも見られます。

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