「疫病の記憶」を紡ぐイタリアと日本の教育差 絵画からも両国での捉え方の違いが見えてくる

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こうした絵画から読み解かれるのは、「神の教えに忠実に生きない人間は、疫病という『悪』に襲われかねない」という教訓めいたメッセージです。ヨーロッパでは今でも美術館にこれらの作品が普通に展示されていますから、人々はそこで知らず知らずのうちにペストの怖さや、過去の人々が感じた恐怖を視覚的にインプットされていると思います。

疫病の記憶は絵画を通して受け継がれる

それこそイタリアでこの手の美術館に行くと、幼稚園児ぐらいの孫におじいさんが絵の説明をしている光景をよく見かけます。骸骨だらけの絵を見てびっくりしている子供に「この死神の意味だがね」などと美術の専門家のように“死の舞踏”について語っていたのを見かけたこともあります。

そのように絵画というメディアを介して、疫病への警戒感が世代から世代へと伝わっている。学校教育での文学、歴史、そして美術も含め、イタリアの人たちは比較的多く、疫病について学ぶ機会をもっているんですね。

なお、美術のなかに描かれた疫病という点では、たとえば西洋美術では、鎌を振り下ろして人々を懲らしめる骸骨、一方の日本では、自然のなかから湧き出た妖怪のような姿として疫病が描かれている。日本と西洋ではその感性に大きな差異があることがそれぞれの絵画から見てとれます。

そうした歴史の教育や美術館を通じての過去との接触は、人々に疫病に対する心構えを備えるきっかけになるでしょう。しかし、情報は得てさえいれば良い、知っていれば安心、というものでもありません。

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