41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録

2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記

脳転移による精神症状が表れなくても、がんの終末期はせん妄などの意識障害が起きたり気力が低下したりもする。その状態まで残したくはない。だから、どじつきさんはつねにサイト更新のやめ時を気にかけていた節がある。

公開から1カ月も経たないうちに現存する大半のコンテンツがそろい、4月以降は闘病日記の更新と掲示板での読者とのやりとりがサイト運営の中心になっていった。いわば、「肺癌医師のホームページ」プロジェクトは船出からしばらくした時点で8割がた完成していたようなものだ。残るはどうピリオドを打つか、だ。

終わりの予感は10月に入ってから

「闘病日記」はどじつきさんの最後の生き方を細やかに残す。

2001年6月1日、放射線療法が終了したのを機に4カ月ぶりに退院。療法の明らかな効果はなかったと診断されたが、自宅で家族と過ごす時間を最優先にした。腫瘍は大きくなり、背中や右臀部などに新たな痛みも感じるようになってきた。状況は厳しい。けれど、娘の誕生日は自宅で祝えたし、息子とキャッチボールもできた。妻とは映画を観に出かけられた。

9.11米国同時多発テロにも言及している。どじつきさんらしい見解

痛みの増大から予定を早めて7月に再入院を余儀なくされたが、その後も体調がいいときは外泊して家族との時間を過ごすなど、当時の日記からは意欲的な様子が伝わってくる。

2001年8月4日(土)
今日は42歳の誕生日。第1目標に到達した(非小細胞肺癌ステージ4の平均生存期間に相当)。次の目標は、来年の正月を越えること。
(闘病日記より)

終わりへの予感が高まってきたのは10月に入ってからだ。

2001年10月2日(火)
予定を繰り上げて、明日転院することになった。
最後になるかもしれないので、無理に外泊し、家族と過ごした。
(闘病日記より)

翌日、長らく特定の集団からの荒らし攻撃を受けていた掲示板の閉鎖を決めたとの報告に添えて、読者と子どもに向けたお別れのメッセージも載せている。

2001年10月3日(水)
<子供たちへ>
昨夜君たちを両脇に抱いてベッドで話した至福の10分間を、君たちはもう覚えていないだろう。
しかし、このHPはこうして今も存在し、人の役に立っています。
お父さんは、このHP作成によって、恵まれた闘病生活を送ることができました。
とてもいい人達との新たな出会いもあれば、心を病んだ悪人が存在することも思い知らされました。
さあ、君たちはどんな人生を送っているだろうか。健闘を祈る。お母さんを大切に。
(闘病日記より)
次ページ繰り返されるお別れのシグナル
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