41歳で余命知った肺癌医師が遺した死への記録 2001年ブログもなかった頃にPHSで書いた日記

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ここから急速に本調子が遠ざかる感覚が深まっていったのかもしれない。それから短めの日記を数回更新したのち、10月21日に改めてお別れの意味合いを込めた文章をアップした。

2001年10月21日(日)
両親が来て、家族みんなで昼食。宮崎アニメ「魔女の宅急便」を観る。
入浴し、夕方病院へ。痛みが強いため、麻薬を開始することになった。
<どじつきより>
麻薬の開始に伴い、今後錯乱を生じる可能性があります。従って、闘病日記はここでいったん終了させていただきます。痛みがおさまって、麻薬を中止することができましたら再開致します。これまで、ありがとうございました。
(闘病日記より)

すでに起き上がると痛むため、インターネットに接続することも困難になっていた。ここで幕引きという意識も確かにあっただろう。

それでも11月に掲示板を復活させると、体調がいいときはサイトを覗いたりした。モルヒネによる幻覚や錯乱症状もいまのところ起きていない。闘病日記も再開することにした。

2001年11月7日(水)
掲示板を再開したところ、癌患者や家族の方達から続々とはげましの書き込みがある。大半は、以前から訪れていて下さった方々からの初めての投稿である。このHPがたくさんの人の役に立ってきたのだなと改めて実感できて、とてもうれしい。
中には、麻薬服用後の様子も知りたいとの要望もある。確かに参考になるだろう。できるだけ、闘病日記も再開したいものだと思い、中断後これまでのところを記す。
(闘病日記より)

体調としては、安らかな最期を迎えるためのターミナルケアに身を委ねるか、もう少し化学療法を続けて延命を図るかという段にきている。どの道遠くはない未来に備え、愛着ある勤務先の病院に転院手続きをとる。

そして、11月26日に次の日記をアップした。

闘病日記、最後の投稿
2001年11月26日(火)
モルヒネの持続静注が続いて、錯乱が生じてきたよう。人の名前もあまり思い出せなくなった。これ以上のHP更新は困難と判断す。

いまの自分が本来の人格だと思えるギリギリの段階で紡ぎ出した文章。これが本当の最後の投稿となった。

亡くなったのは2002年1月6日。その翌日、どじつきさんの兄姉たちが連名で訃報を掲載した。それが現在もホームページのトップに置かれている。

兄姉による訃報が追加された現在のトップページ
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