改めて確認すると、「生命関連産業」ないし「生命経済」の代表的な分野として、先ほど私は①健康・医療、②環境(含再生可能エネルギー)、③生活・福祉、④農業、⑤文化という5つの分野を挙げた。
このようにいうとき、それらはいささか“地味”で“小さな”領域であり、そうした分野が経済の中心になっていくというイメージが湧きにくいという意見があるかもしれない。
それは、次のような点と関連していると私は考えている。
すなわち、振り返れば戦後の日本においては、高度成長期を中心に“工業化を通じた経済成長”という発想が圧倒的に強く、しかもそれが相当な成果を収めたため、その「成功体験」にとらわれ、いわゆる“重厚長大型の経済発展モデル”から抜け出せないまま現在に至ったのではないか。そして、そのことが平成を中心とする「失われた○○年」を帰結させてしまったのではないか。
それはクリステンセンのいう「イノベーションのジレンマ」の“国家版”のようなものといえるかもしれない。
そうした思考の枠組みから脱却し、以上のような比較的小規模かつローカルな性格をもつ「生命」中心の経済ないし産業構造への転換を進めていくことが、「ポスト・コロナ」時代の主要な課題になるのだ。
ちなみに基本的な確認となるが、産業別就業者割合で見た場合、サービス業などを含む第3次産業の割合はすでに7割を超えており(2015年で71.9%)、製造業は25%にすぎない(残る4%が1次産業。2015年国勢調査)。
それにもかかわらず、なお「昭和」的な“製造業中心の地域発展モデル”の発想から抜け出せない人が多いのである。なぜだろうか。
おそらく、“ある地域に製造業の大きな工場が1つできると、それだけで数百人の雇用が生まれる”といったイメージがそこにあるのだと思われる。しかしそれはまさに「イメージ」ないし先入観なのであって、上記のように、実際には経済構造はすでに第3次産業に移行しており、雇用ないし就業者数としてもそちらがはるかに大きいのである。
雇用を生み出すのは「デジタル」よりも生命関連産業だ
この場合、「デジタル」ないし情報化は確かに“ポスト工業化”の軸になる領域であるが、実はAIやITなどの議論でもしばしば出てくるように、それは「効率的」であるがゆえに“少ない労働力ですむ”ことが特徴なのであり、つまり「デジタル化」の推進は、最終的にはかえって「雇用」を減らす方向に働くことがしばしば生じるのだ。
それに対し、上記のような「生命関連産業」は、ある意味で「労働集約的」、つまり「人」が重要な意味をもつ分野であり、したがって雇用という面に関しては“雇用創出的”な性格ないし効果が実は大きいのである(これは根本的には「生産性」という概念をどう捉えるかというテーマと関連しており、この点については前掲書『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』を参照されたい)。
しかも、こうした生命関連産業を発展させていくことは、「デジタル化」の重視ということと“対立”するものではなく、次のような意味でむしろ相互補完的なものといえるだろう。
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