そして20世紀になると、二度の世界大戦における暗号解読や「通信」技術の重要性とも並行して、「情報」が科学の基本コンセプトとして登場するに至る。具体的には、アメリカの科学者クロード・シャノンが情報量の最少単位である「ビット」の概念を体系化し、情報理論の基礎を作ったのが1950年頃のことだった。
本稿の前半から「デジタル」について述べており、菅政権の経済政策はデジタル一色ともいえるが、シャノンはまさに“デジタルの元祖”といえる人物なのだ。
重要な点だが、およそ科学・技術の革新は、「原理の発見・確立→技術的応用→社会的普及」という流れで展開していく。そして一見すると、「情報」に関するテクノロジーは現在爆発的に拡大しているように見えるが、その原理は上記のように20世紀半ばに確立したものであり、それはすでに技術的応用と社会的普及の成熟期に入ろうとしている。
つまり、10年を単位とする中長期的な時間軸の中で見るならば、「情報」やその関連産業は“S字カーブ”の成熟段階に入ろうとしているのである。
そして、先述のように「情報」の次なる基本コンセプトは明らかに「生命」であり、それはこの世界における最も複雑かつ根源的な現象であると同時に、本稿の前半ですでに述べた点だが、英語の「ライフ」がそうであるように、「生活、人生」という意味を含み、しかもそれは(生命科学といった)ミクロレベルのみならず、生態系(エコシステム)、地球の生物多様性、その持続可能性といったマクロの意味も含んでいる。
このように、先ほど述べた経済社会に関する側面と同様に、科学技術の側面においても「生命」というコンセプトが中心的なテーマになっていくと考えられるのであり(広井良典『遺伝子の技術、遺伝子の思想――医療の変容と高齢化社会』、中公新書、1996年。同『生命の政治学――福祉国家・エコロジー・生命倫理』、岩波現代文庫、2015年。同『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』、岩波新書、2015年を参照)、こうした点からも、私たちは「ポスト情報化」の時代の構想を行っていくべき時期に入っているのだ。
そして、今回の新型コロナ・パンデミックは、ある意味でそれを極めて逆説的な形で提起したといえるだろう。
“重厚長大型の経済発展モデル”から脱却せよ
以上、「ポスト・コロナ」時代の構想を進めていくにあたっての「生命」の重要性について述べたが、ここで再び先ほど論じた経済社会における側面、つまり「生命関連産業」ないし「生命経済」というテーマに立ち戻り、それがこれからの社会にとってどのような意味をもつかを考えてみよう。
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