でも、だからと言って、納得できませんよね。
受験で何年も費やした努力が、学内に入ったら無意味なものとして捨てなければならないなんて、たまったもんじゃないだろうなというのが僕の正直な感想です。
僕が「藝大生って本当にすごいんだな」と思ったのは、この部分です。
努力にはまったく違う「2つの種類」がある
僕は、「努力」というものは2種類に分けることができると思っています。1つは「結果の見えている努力」。もう1つは「結果の見えていない努力」です。
1つ目は、「これくらい頑張ったら、この結果が得られるだろう」というものです。
「今3時間勉強したら、明日の試験でわりといい成績が取れるかもしれない」「受験生時代に英語を頑張ったら、社会人になってからも使えるはずだ」
そんなふうに、努力の結果が見えている場合には、人間は頑張りやすいです。
東大生の多くは、この努力をしています。
「今、受験勉強をしておけば、大学入試で合格できるかもしれないし、大学に入った後も活用できるはずだ」と考えるからこそ、何時間も勉強することができるのです。
しかし、そうではない努力があります。それは、「頑張ったところで、何が待っているのかわからない努力」です。
「今ここで頑張っていることが、報われないかもしれない」
そういう不安がある状態で、それでも努力し続けられる人はまれです。そして、藝大生はこの2種類目の努力を実践している人たちの集団なのだと感じました。
予備校で習った「技術」が、長期的に見たら自分の絵を描く能力を阻害するかもしれない。または覚えても、使えなくなるかもしれない。
それを知っているにもかかわらず、それでもその努力に自分の時間を何時間も投資することができるというのは、本当にすごいことだと思います。
「なんでそんなことできるの?」と聞いてみたのですが、やはり、彼ら彼女らの根底にあるのは「絵を描きたいから」「表現したいから」という「思い」でした。
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