対するキリギリスは、知的資産においても「宵越しの知識は持たない」という「江戸っ子気質」である。その場で必要な知識はその筋の専門家から調達し、そこで新しいものを生み出したら興味はまた次の領域に移る。
キリギリスはつねに「今ないもの」から発想し、「未知」の領域に目が向いている。知識を活用するにも、あくまでも「未知のものを生み出すため」という目標が明確である。
先述のとおり「その道の専門家」はアリ型の思考になりやすい。対するキリギリスは「素人」の発想である。「白紙に枠を定義する」という問題発見のステージでゼロベースで考えるには、こちらのほうが向いていることは明らかだろう。専門知識という「知っていること」から発想するのがアリで、素人的に未知という「知らないこと」から発想するのがキリギリスと言える。
こうしてキリギリスの知的好奇心はつねに「新しい未知のもの」に向かっていく。キリギリスにとっては「できるとわかってしまったもの」はもはや興味の対象ではない。対してアリは「できるとわかっているもの」から実行していくことになる。
キリギリスがはた目に「飽きっぽい」と見えるのは、そういう理由による。「今あるもの」に粘り強く執着するという姿勢は問題解決には有効であっても、新たな問題を発見するときにはむしろマイナスに働くのである。
次回は2つめのポイントである「閉じた系」と「開いた系」の発想の違いについて解説する。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら