そのルーフォック・オルメスものの中でも最大の作品が『衣装箪笥の秘密(別題 処女華受難)』であり、題名から分かるように、このコントのセントラルアイデアは、正に殺人鬼の脳をもった箪笥と名探偵オルメスの対決というナンセンス・ギャグなのである。
『衣装箪笥の秘密』と『怪人ジキル』のクライマックスを較べてみると、よせばいいのに『怪人ジキル』の方は、おかしなディテールまでカミを踏襲しているのが分かる。たとえば殺人犯の脳を移植した木に悪漢の部下が殺されたことから殺人タンスのアイデアをつかむくだりや、タンスに殺される警官と野次馬の数が70人というところ、塔(カミだとエッフェル塔)で決死の実況放送を行い最後はタンスに殺されてしまうアナウンサーの存在、タンスの覚悟の(?)身投げなど、まるっきりそのままである。
ちなみにカミの小説に出てくるタンスはジキルのタンスと違い、足が4本ある洒落たタイプ。そもそもタンスが「歩く」ことが合理的かどうかは別として、イメージをしやすくはなっている。
ただ御本家カミのユーモアセンスは、さすがだ。動く殺人タンスを見て恐慌状態に陥った多くの警官が、捜査課長から「そんなバカなことがあるものか!」となじられたシーンなど実に秀逸である。
この時、制服姿の二百人の警官は、問答無益とばかり、荘重な態度で一齊に帽子を脱ぎました。警官達は指で彼らの頭のてっぺんを指しながら言うのでした。「ご覧下さい、課長。ご覧下さい。もし彼奴(あいつ)が外に飛出すのを見なかったら、私達は皆、こんな風になっていたでせうか?」捜査課長は仰天して眼を見張りました。何と二百人の警官達は全部白髪になってゐたのです!!(吉村正一郎訳)。
つまり『怪人ジキル』とは、このカミのキラ星のごときナンセンスギャグを、波野次郎氏がギャグと気付かず、大真面目にスリラーの元ネタとして転用してしまった実にイタい作品だったのかもしれない。
残念ながらカミのユーモアは、『怪人ジキル』本文には一切投影されていないものの、『怪人ジキル』を彩る稚拙な挿絵が、突拍子もない展開を生真面目に再現してくれた結果、期せずしてシュールなユーモアを醸し出している。また、カミのナンセンスギャグを真面目にスリラー口調で語ることによる一種の「狂気」が、『怪人ジキル』の味わいを唯一無二のものにしているともいえる。
作者・波野次郎のことは少し調べてみたのだが、全くわからなかった。本名かもしれないし、ひょっとすると、国民的漫画『サザエさん』の主人公フグ田サザエのいとこにあたる準レギュラー・波野ノリスケの兄・波野次郎にあやかってつけたペンネームかもしれない。しかし昭和23年の段階で『サザエさん』に波野次郎が登場していたかどうかまでは面倒くさくて調べておらず、真相は藪の中です・・・・。
最後に波野次郎氏に言いたい
さて、本稿の最後に一言、どうしても言わせて頂きたい。ジキルという犯人のニックネームは、先述の通りジキルの本名「治木 留次」の音読みだが、当然『ジキル博士とハイド氏』に由来している。
ただ、この小説における悪漢は(二重人格の)ハイド氏の方であり、ジキル博士は高潔な学者なのだから、連続殺人鬼が「ジキル」と名乗るのはちょっと無理がある。そもそも治木留次は別に二重人格者でもないし。だが、それ以上に致命的問題は、ジキルの綴りは「Gikil」じゃなく「Jekyll」であるということだ。
刊行年からみて、波野次郎氏がご存命だったとしても極めて高齢だと思われるが、もしいまだご壮健で、『魁!!男塾』の田沢や影慶ばりに、新著でジキルを蘇らせることがあるならば、次は犯行現場に「G」じゃなく「J」の文字を遺すようにしてあげて欲しい。どういうわけか、前回O市民は一人もその点に気付かなかったようだが、グローバル化が進む昨今でこんなチョンボをやらかすと、エリートビジネスパーソンとして世界中を飛び回る東洋経済オンラインの読者からキツ~くツッコまれてしまいますよ!
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