なぜ「感染者が謝罪する」社会になったのか フーコーの「生政治」からコロナ現象を読み解く

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美馬 達哉(みまたつや)/1966年生まれ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。京都大准教授などを経て2015年から現職。専門は医療社会学、脳科学。著書に『〈病〉のスペクタクル』『脳のエシックス』『リスク化される身体』『生を治める術としての近代医療』など。

2020年は「パンデミックの年」として、世界中で記憶されるだろう。起きたのはウイルスの感染拡大だけではなく、大きな社会現象だった。『感染症社会 アフターコロナの生政治』を書いた立命館大学の美馬達哉教授はこの現象をどう見ているのか。

生きている人間をどう扱うか

──冒頭で「人文知の果たすべき役割は、パンデミックは人から人にうつることだという常識から距離を置くことだ」としています。

生物医学的(バイオメディカル)に「ウイルスは人から人へうつる」と個人の体のレベルで考えると、外出しなければ感染しない、という話になります。しかし、人間は社会生活をしており、それは無理な話。21世紀になって先端医学が進んだので、ワクチンが開発されれば個人の体のレベルで解決できるんじゃないかと思われていますが、実はまだ難しそうです。そうすると、細菌やウイルスの存在がわからなかった昔、社会、集団として疫病にどう対処していたのかを考える意味があります。

──ミシェル・フーコーの「生政治(バイオポリティクス)」という概念を導きの糸としています。

「ポリティクス」という場合には、人権、表現の自由、参政権などを考えることが多いでしょう。それとは違う社会権、人間が生きているというところからスタートして、生きることを守る、あるいはそれを管理するといった「生きている人間をどう扱うか」を考えることを、バイオポリティクス、生政治と呼んでいます。

感染症の問題で「人間が生きることをどう守るのか」を考えると、政治的権利、例えば移動の自由とか集会の自由は制限しても構わないという考え方があります。すると、ポリティクスの政治的権利は抑え込まれていく面があります。

──新型コロナウイルスが広がり始めると、各国は国境を閉鎖しました。今も空港で隔離・検疫が行われています。

国境封鎖は日本のような国では可能でしょうが、シェンゲン協定のあるEU(欧州連合)でもできたことには驚きました。

現状では、多くの国で外から来る感染者よりも国内の感染者が桁違いに多いので、検疫には意味がないでしょう。医学に基づく政策ではなく、穢(けが)れは外から来る、といった古い呪術的な考えに人間がとらわれているのかもしれません。

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