社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか
コロナ自粛の影響で、例年より短くなった子どもたちの夏休み。学校に不安を感じている子にとって、新学期のスタートはしんどい時期でもあります。自粛期間が明け、日々の出社を求められるようになった大人たちの中にも、家にこもっていられた生活のほうがよかったと感じる人が少なくないかもしれません。
「ひきこもりは悪ではない。ひとりで過ごす分断されないひとまとまりの時間にこそ価値がある」
そう説いて、多くの人を救ってきた約20年前の名著があります。思想家・吉本隆明氏の『ひきこもれ』です。
本稿では絵本作家ヨシタケシンスケさんのイラストとともによみがえった『ひきこもれ<新装版> 』より「1人でこもって過ごす時間の価値」と「第二の言語」について紹介します。
時間をこま切れにされることの弊害
「ひきこもり」はよくない。ひきこもっている奴は、何とかして社会に引っ張り出したほうがいい。
そうした考えに、ぼくは到底賛同することができません。ぼくだったら「ひきこもり、いいじゃないか」と言います。世の中に出張っていくことがそんなにいいこととは、どうしても思えない。
テレビなどでは「ひきこもりは問題だ」ということを前提として報道がなされています。でもそれは、テレビのキャスターなど、メディアに従事する人たちが、自分たちの職業を基準に考えている面があるからではないでしょうか。彼らはとにかく出張っていってものを言う職業であり、引っ込んでいては仕事になりません。だからコミュニケーション能力のある社交的な人がよくて、そうでない奴は駄目なんだと無意識に決めつけてしまっている。
そして「ひきこもっている人は、将来職業に就くのだって相当大変なはずだ。社会にとって役に立たない」と考えます。
でも、本当にそうでしょうか。
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