――日本銀行のリポートは、オンライン授業導入に伴うコスト低下によって、5月の学習塾業界の授業料が低下したことを指摘しています。大学もリモート化の最前線ですが、教育の世界ではリモート化による経済のシュリンクがすでに起き始めているのでしょうか。
出口 オンライン授業にはそれなりのメリットがあり、みんなが賛成する。だが一方で、それは大学が通信制大学や放送大学になることを意味する。おそらく放送大学の授業料は一般の大学と比べれば、5分の1くらいだろう。つまり、先生方の給与も5分の1になるということだ。放送大学化の行く手には、はたして5分の1のお金で大学の研究教育の場を維持できるかどうかという問題が出てくるだろう。
さらに、オンライン授業では講義の巧拙がすぐにわかるので、たとえばある学問ではみんながこの先生の講義をコピーして聴けばいいということになってしまう。その先生の年収は予備校のカリスマ講師並みに上がるだろうが、それ以外の先生は全部職を失うことになりかねない。大事なのは、本当にこういったことをみんなが望んでいるかどうかということだ。
僕は、大学は場所のビジネスであって、お互いに冗談などを言いながら励まし合い、学び合う場所にお金を払っているので、アフターコロナの時代もみんながキャンパスに集まってくることを前提に考えるべきだと思っている。知識を与える一部の教育にはオンラインを使ってもいい。でも、オンラインで浮いたお金や時間を使って、たとえばゼミナールや論文指導などを徹底する。そのように持って行かないと、豊かな大学生活は送れないと思う。
われわれは何から「気づき」を得ているか
権丈 今日は私も、出口さんからこれからの大学がどうなるのかを個人的に聞きたかった(笑)。世の中の普通の人たちが「生産性」という言葉を日常用語にするほど、社会を挙げて業務効率化に邁進している。だが、コミュニケーションなども重要だとなれば、確かにオンラインでは代替しにくい。
出口 次のような話がある。国際的な学会に出席すると、キーノートスピーカーは最先端の研究者だ。しかし、学会に出た人にとって何が「気づき」になったかといえば、実はキーノートスピーカーの話ではなく、昔の同僚とのおしゃべりやランチ、ディナーでの馬鹿話だったりする。そうした体験から、実はわれわれはものすごく大きな気づきを得ている。
つまり、オンライン授業はキーノートスピーカーの発表のようなものだ。本当の気づきや刺激というのは、むしろ同僚とのチャットや会話の中にある。講義そのものはある程度オンライン授業で代替できるが、人間が肉体を持つ3次元空間の存在である以上、講師や学友とふれあうことの刺激のほうがはるかに大きい。これは、人間が学ぶことの基本構造だと思う。ビジネスだったらオンラインでもいいが、教育や学問、研究の分野ではむしろ無駄がものすごく重要になってくる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら