タブー恐れず忖度しない「攻めるテレビ」の期待 制作者側の思考停止、想像力欠如にモノ申す
筆者は勝手に「攻めるテレビ」と呼んでいるが、テレビがコンプライアンスを気にし、周囲に忖度し、攻めの姿勢を喪失するなかでの希望の灯だと感じている。「攻め」の姿勢がないテレビなら、本音で勝負するネット全盛の時代に視聴者が離れていくのは自明の理だ。“忖度せず”の姿勢で議論を活性化し、「攻め」に徹して本質的なテーマにズバリと切り込むバラエティ番組の存在意義を、ここでは「バリバラ」を例に考察したい。
徹底した批判精神の塊である 「バリバラ」
「バリバラ」は、「『生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー』にとって“バリア”をなくす」というコンセプトの「みんなのためのバリアフリー・バラエティー」(同番組HPより)だ。身体障害、聴覚障害、視覚障害、知的障害、精神障害、性的少数者、性暴力の被害者、引きこもり、在日コリアン、外国人、少数民族などさまざまなマイノリティが本音で思っていることを臆せずに発言するのが売り物になっている。
筆者がこの番組のファンとして高く評価する理由は“タブーを恐れない”ことだ。例えば、愛を語りながら性を語らないのは不自然なはずだ。性に触れるなら性欲を語ることも人間の生理だし当然の流れだろう。
それなのにテレビはいつしかこうした当然の流れを排除する傾向を強めた。何か不祥事があると「上から目線」で論評しながら、自分たちをどこか安全圏に置いて、自己批判しない番組も目につく。しかし「バリバラ」にはテレビ業界や自分たちがいる局にさえ気兼ねしない奔放さで、堂々と批判する自由な気質がある。決して自分たちは関係ないという高みに逃げ込まず、「自分ごと」として考える姿勢は徹底している。
ニュース・報道番組が、ともすれば自分たちのことは「さておいて」、神の視点から見下ろすかのような視線に立ちがちなのと対照的だ。そんなウソっぽさや綺麗事に終わりがちな点が、実はテレビ全般への不信感につながり、結果的に「テレビ離れ」につながっていることをテレビ人はそろそろ意識したほうがいい。
「バリバラ」には自分たちを対象化して相対化する健全な批判精神がある。2016年、「バリバラ」は日本テレビが「24時間テレビ」を放送する時間にパロディ番組「笑いは地球を救う」を生放送した。本家同様に出演者も黄色いTシャツ姿で登場した。
年に一度、「24時間テレビ」で障害者のさまざまな現状がテレビで大きく露出するタイミングに合わせ、「テレビが清く正しい障害者像を描いて感動話に仕立て上げているのではないか?」と、「感動ポルノ」という言葉を使って問題提起した。
→一方的な「24時間テレビ」批判ではなく自分たちも自己批判しながら
「24時間テレビ」にも出演した、難病の筋ジストロフィー患者が「バリバラ」にも出演し、本家では本人が思った以上に「重度の障害を抱えてがんばって生きる」ような“感動のヒロイン”に仕立て上げられたと、当の本人が一部始終を暴露したのは痛快で、本質を突いていた。
ただ「バリバラ」は、「24時間テレビ」を一方的に批判するのではなく、自分たちも障害者を「感動ポルノ」として消費している面があるかもしれないと、自己批判しながら出演者たちもコメントしていた。
「バリバラ」の真骨頂は“下ネタ”での共感
「バリバラ」の笑いは、“下ネタ”が目立つ。「障害者の性」は毎年のように特集される鉄板ネタでもある。2012年度にギャラクシー賞選奨に選ばれた「障害者の性①セックスの悩み」では、下半身が不自由な女性が介護ボランティアの力を借りて相手と「同じベッド」で性行為を果たすための「練習」をしたエピソードなど涙ぐましい実話が、腹がよじれるほど可笑しかった。
肉体的な「合体」ができないカップルが互いに想像力を膨らませて行う「エアセックス」もほほえましく、生々しいリアルさも漂わせていた。最終的には、「性」は「愛」につながるものなのだと教えてくれる。こうした実話を、何より障害を抱える当事者が自ら語り、自虐の笑いへと昇華させることで差別的な視点は皆無だ。
2019年も「24時間テレビ」をパロディにした「2・4時間テレビ 愛の不自由、」を放送。言葉を発するたびに顔が大きくゆがんでしまう脳性マヒの男性が介助ボランティアの女性に好意を打ち明け、「僕とセックスできますか」という質問をぶつけて断られた実話のトークは切ない笑いだ。自虐の下ネタは障害の有無を超え、共感できる普遍性を獲得していた。
本家の「24時間テレビ」では「愛は地球を救う」を大々的なキャッチフレーズにしつつも、障害者にとって切実な「性」を扱わない。障害者が性欲を持っていないような一種のファンタジーが描かれる。これも一種の「感動ポルノ」と言えるだろう。障害者の性を直視したくない「健常者の視点」が透けて見える。
他方「バリバラ」は、障害者の切実な性欲さえも障害者自身が自虐の笑いに転化させて共感性の高いトークを展開していた。障害者の性はリアルな実情なのに、それをタブーにして覆い隠す他のテレビ番組の「後ろ向き」が際立つ。
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