タブー恐れず忖度しない「攻めるテレビ」の期待 制作者側の思考停止、想像力欠如にモノ申す
さて、歴代内閣と比べても総理官邸に権限が集中する権力の歪みが明らかになってきた「安倍一強政治」。モリカケ、桜を見る会など、事件の名前こそ違っても文書改ざんなどで官僚が政治家のためにウソを強いられる構図は同じだ。4月に二度にわたって放送した「バリバラ 桜を見る会」も秀逸だった。
「内閣総理大臣 アブナイゾウ」「副総理大臣 無愛想太郎」などのキャラクターが寸劇で登場。漫才でも「言ってはいるけど発言はしてない」など、「ごはん論法」と批判される安倍首相の答弁を皮肉ったギャグ。シュレッダーで参加者名簿を廃棄するパロディなどが笑いを誘った。
差別の本質を考えさせる
だが、こうした「政権批判」は表面的な仕掛けにすぎない。この番組が「攻めている」と本当に感じさせたのは、元TBS政治部記者による性暴力被害で実名と顔を出して相手を訴えた伊藤詩織さんを登場させ、彼女の本業である「ジャーナリスト」としてコメントさせた点だ。
彼女に対する性暴力事件が刑事では立件されなかったのは、元記者が安倍首相にきわめて近い存在だったことや、首相側近の官邸官僚だった警察幹部による異例の働きかけがあったのでは? という疑惑が今も払拭されていない。
伊藤さんは自ら訴えたことで味わった差別や偏見の苦しさを伝えながらも、在日コリアン3世で「ヘイトデモ」などの被害に遭ってきた崔江以子さんとともに、「それでも顔と実名を出して訴えることが大切」と訴えた。私たちも名前をもった人間なのだと知らせることが大事だと……。匿名のSNSで誹謗中傷が飛び交う時代に、差別の背景にある問題を考えさせる番組だった。
「バリバラ」は、地上波テレビで今やほとんど扱われない「部落差別」の問題にも正面から切り込む(前述の「BLACK IN BURAKU」)。大阪のかつての被差別部落を米国出身の黒人たちが訪ねて取材。スタジオでも若者世代の部落出身者とアフリカ系米国人とが差別について語り合った。
結婚や就職などで今も事実上残っている根深い部落差別。さらに警官による黒人男性暴行死で怒りが湧き上がった米国の黒人差別。この2つには地域の衛生格差、教育格差、行政による地域振興策等で生まれる「逆差別」に対する反発など、共通の課題もあった。
部落出身の若者が「SNSで部落の固有名を出すと、『ここは何割が〇〇組のヤクザが住人』などというデマが氾濫して悩まされる」と語ると、米国の黒人大学院生が「メディアが黒人を暴力的に描きがち」と応じる。ネガティブな情報のほうが広がりやすいことでは黒人も部落も同じ、という結論で一致した。
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