タブー恐れず忖度しない「攻めるテレビ」の期待 制作者側の思考停止、想像力欠如にモノ申す
圧巻は食文化だ。奴隷制度があった時代の米国で、白人が食べなかった手羽先を黒人奴隷が油で揚げて食べたことがきっかけでフライドチキンが生まれたという歴史。関西で肉牛を解体した後に部落住民が売り物にならないホルモンの部分を揚げて食べた「油カス」というメニューの歴史。日米の食文化の共通点は実に興味深かった。
かつて穢多・非人と呼ばれた被差別部落住民が革製品や食肉生産の仕事に従事してきた歴史を学んでいくと、部落差別と人種差別、障害者への差別と、実は根っ子が同じだと気づかされる。歴史をしっかりと学ぶことの大切さを考えさせる番組だった。教育現場でもマスメディアでも部落問題を触れる機会がどんどん減るなかで、「こうしてテレビ番組が触れることに意義がある」と部落出身の若者がスタジオで感想を話していた。
この特集は大きな話題になった。なぜならテレビで部落問題を取り上げることはほとんどないからだ。
障害=バリアを考えるとき、障害を「その人の欠けた部分」や「できないこと」と見るのでなく、「障害は社会の側にある」とする考え方が広がっている。同様に「合理的配慮」を求める障害者差別解消法も2016年に施行された。障害者に限らず、さまざまな少数者にとって「社会の側にあるバリア」が社会参加を制約し、生きづらさにつながるなら、そのバリアを無くす必要がある。部落問題も同じ線上にある。
コロナの差別と偏見が広がる実態も
「バリバラ」は、4月の「桜を見る会」の回でも新型コロナウイルスの感染拡大に伴って世界中で差別と偏見が広がる実態について、伊藤詩織さんや崔江以子さんが「差別を受ける側の気持ち」を、実体験から発言していたのが印象的だった。
「バリバラ」は基本的なスタンスとして「当事者主義」を貫く。当事者の声に耳を傾けることが制作のスタート地点になっている。
差別の本質について考えていくことの必要性を示し、テレビ全体に猛省を促した「バリバラ」。マイノリティの立場で差別について考えさせる。手を替え品を替え、思考停止に陥らず、タブーに挑戦しながらモノを言い合う。
これからもそんな「攻めるテレビ」であり続けてほしい。
(月刊『GALAC』2020年9月号掲載記事を転載)
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