こんにちは。生きやすい人間関係を創る「メンタルアップマネージャⓇ」の大野萌子です。
カウンセラーという仕事上、相談の中で「死にたい」「生きていても仕方がない」「死んだほうがまし」などという言葉を聞くことは珍しいことではありません。希死念慮(きしねんりょ)と言われ「死」への関心や願望を訴えるケースはとても多いのです。その程度にはもちろん強弱があり、緊急性のあるものや、気を引くためなどケースバイケースです。
しかし、いずれもその言葉の裏には、「生きたい」という気持ちをいつも感じます。なぜなら「死んでしまいたいほどの」つらさをわかってほしいという意であったり、「どうにもならない状況下で」何とかほかの方法を見いだしたいという切望であったり、これほど真剣なんだという、向き合ってほしいといったサインであったりするからです。
自死に至ってしまう場合「無言」であることが多い
逆に言うと、自死に至ってしまう方々の多くは、残念ながら「無言」であることが多いのです。自殺未遂をした方々のカウンセリングの経験も多々ありますが、直前の様子を聞くと誰にも相談していない、もしくは衝動的なケースが多く見受けられます。ですので、それを察知して回避するのはかなり難しいと考えます。
私たちのようなカウンセラーは、相談者がある意味、助けを求めてきている状況が前提としてあるので、細かい変化や様子に気づきやすかったりしますが、日常生活の中でそれを感じ取るのは至難の業でしょう。ですので、周りの人が、なぜ気づけなかったのかと自分を責めてしまうようなことだけは避けてほしいと心から願います。
身近な人の自死に直面すると、遺された人は強烈な心理的打撃を受け、病死や事故死以上に深刻な打撃をもたらすこともあります。うつや不安障害などに陥ってしまうことも多く、心のケアが必要です。
表れやすい変化は、身体、思考、感情、行動に及びます。
主な症状としては、倦怠感などの漠然としたものから、胸の苦しさや痛み(心臓に問題があるのではないかと思うほどの症状)を訴えるケースもあります。また、眠れない、寝つきが悪いということもよく聞きます。気持ちが滅入るだけでなく、浮き沈みが激しくコントロールの制御が難しくなる、注意力が散漫し、不安やパニックを引き起こすこともあります。緊張状態が続き、生活に支障を来すこともあり深刻です。ですから、何かしらのケアが必要です。
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