日本のハンコ文化がどうしようもなくダメな訳 行政のデジタル化を待っていては後れを取る

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紙とハンコの文化は、日本特有の文化として根付いており、なぜか日本には「全日本印章業協会(全印協)」という、どうやら強大な力を持った業界団体も存在する。1997年の自民党行政改革推進本部が進めようとした各種申請・届出のペーパーレス化を推進しようとしたときには、この全印協などが中心になって猛反対を繰り広げ、わずか3万5000人という署名で同計画を頓挫させた。

いまや何十万人、何百万人の署名を集めてもひっくり返らない行政計画が多い中で、この力は計り知れないものがある。しかも、その後発足した「全国印章業連絡協議会」によって「日本の印章制度・文化を守る議員連盟(通称「ハンコ議連」)」が立ち上がり、行政のデジタル化を推進するはずの竹本直一通信情報技術(IT)政策担当大臣が、つい最近までその会長だったというブラック・ユーモアのような事態になっている。

どちらにしても、今回のテレワークで大きな障害となったのがハンコ認証であり、紙による決裁であることは間違いないだろう。

そもそも印鑑は、中国から来たものだが、それをかたくなに守ろうとする背景には、ひとつは手彫りのハンコ業者の反対、紙の需要減少、不要となる収入印紙の減収といった問題があるが、日本全体の生産性向上と比較すれば、微々たる存在と言える。

もともと印鑑は、中国や韓国を経由して入ってきたものであることは間違いないが、その中国や韓国は、すでに印鑑認証から電子認証へと大きな転換を果たしつつある。韓国は、すでに2009年に印鑑登録制度を5年以内に廃止する方針を打ち出しており、現在はサインに押印と同じ効力を持たせる制度を導入して、ハンコとサインを併用する形になっている。

中国では政府や企業が印鑑を使う習慣はあるものの、個人で印鑑を使う機会はほとんどなく、中国のデジタル化の推進の大きな原動力になっている。

時代錯誤も甚だしい行政の「紙とハンコ」への固執

そもそも不思議なのは、近年不動産契約をしたり自動車の売買を行ったりするときの書類と印鑑の数の多さだ。さすがに最近は例えば生命保険の契約などでは電子サイン1つで取引が成立するようになっている。

しかし一方で、例えば不動産賃貸契約を結ぶ際には、大変な時間と労力が必要になる。明らかに前よりも煩雑で複雑な手続きを求められるようになってきており、契約書などに添付する書類の数が多い。しかもその大半が電子化されておらず、このコロナの時代に、わざわざ役所に行って入手するか、郵送で手に入れるしかない。

具体的には、借主には「住民票」「実印、印鑑証明書」「銀行の認印」「源泉徴収票、納税証明書などの収入証明書」「連帯保証人の住民票」「連帯保証人の実印」「連帯保証人の印鑑証明書」「反社会的勢力排除条項」といった添付書類を求められ、そのうえで契約時には「重要事項説明書」が提示され、読み上げたうえで、それぞれ貸主と借主、不動産会社が署名捺印をすることになる。

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