「子どもに尽くしてこそ母」という強烈な思想 「個」を消すための装置に囲まれて
今後、みんなで1つになることを目的とした「密」な行事を見直していくことで、先生や子どもたちの負担が減り、あわせて「みんなといっしょ」が難しいさまざまな事情を抱えた子どもが生きやすくなるきっかけになるといいのですが。
保護者のPTA、個を消す装置?
――巨大組体操のように、事故が起きても中止にならない取り組みがあります。なぜ学校行事は批判があっても続いてしまうのだと思いますか。
みんなで1つになるのがよいという価値観のもとでは「個」の反対意見がなかなか通りません。巨大組体操も、子どもが大けがをするリスクをとってまで、やる必要はないはずです。
それでも「地域ウケがいいし、みんなで『感動』できるんだから、このままでいいじゃないか」という声に反対意見がかき消されてしまう。それでなんとなく続いていってしまうんでしょうね。
組体操と同じで、PTAも「個」を消すための装置になっていると思います。PTAには理不尽な活動が少なくありません。
仕事を休んでベルマークを貼らされたり、公立の学校を広報する意義も知らされないまま広報誌をつくらされたり。
それもPTAの存在意義が「個」を消すための組織になってしまっていると考えれば理解できます。
「母親は学校や地域に尽くす存在だ」と教えこんでいるのではないかとさえ感じています。一体化して「感動」をつくり出すために、お母さんたちの「自己犠牲」が求められるからです。
――「母親は子どもに尽くすべきだ」というプレッシャーもあると思います。母親の自己犠牲的なイメージは、伝統的なものなのでしょうか?
歴史は長くありません。平安時代の『今昔物語集』では、貞操を守るために子どもを見殺しにする母親が称えられているくらいです。
封建時代には主君のために母親がわが子の命を犠牲にする話が美談として扱われていました。
そもそも「家庭」という概念が現れたのは明治の中期以降のことです。「子どもに尽くす母親像」は、大正時代以降に広まり、戦争を経て、国民的な道徳になっていきました。
自己犠牲的なイメージは、お母さんたちをすごくたいへんにさせています。