いきなり休校要請した安倍首相「時代錯誤」感 ジェンダー論の観点から休校要請を考えた

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新型コロナウイルスの感染拡大防止のため小中学校などへの全国休校を要請した安倍首相だが、あくまで要請であり、法的拘束力はないとしている(写真:ロイター/Kim Kyung-Hoon)

新型コロナウイルスの感染が大きく広がる可能性が出てきた今、東京の街を歩くと、場所によってはふだんの人通りがないし、雰囲気も何となく殺伐としている。そして世の中には自粛ムードが広がる。東日本大震災で福島第一原発がメルトダウンした後の東京や、昭和最後の数カ月の街を思い出す。

非常事態が発生すると、そんなふうに周りをけん制する自粛ムードに陥りがちな国民性を私はあまり好ましいとは思わないが、自分の判断で動こうとする人たちや、他人の判断を尊重する人たちもたくさんいる。それなのに、首相による、自粛気味のムードに油を注ぐようなここ2日の要請はどうだろう。

一番の「犠牲者」は子どもである

27日のイベントの自粛要請だけでも驚いた。言われるまでもなく、すでにいろいろなイベントの主催者が自主的に延期や中止を決めている。そこへ昨夜、全国の小中高校に休校まで要請した。

規模が大きすぎるこの事態には、すでに批判の声が噴出している。これは要請であって命令ではないかもしれないが、国がそういう判断をしたことは、今がいかに緊急で恐るべき状態か宣言するようなものだ。

パニックを誘発しないのか。首相は国民同士が、疑心暗鬼になってしまう危険を考えていないのか。すでに何人もの記者が、この問題について記事を書いているが、ジェンダーと生活史を専門とする立場から、この要請が意味することについて考えてみたい。

一番の犠牲者は、もちろん子どもたちだ。まず、約1カ月間の学習を阻害されてしまう。楽しみにしていた授業も、もう少しでわかりそうだった授業も、当分受けられない。友だちにも会いづらくなる。傷つく子はたくさんいるだろう。

次の学年になるまでに覚えなければならないこと、知るべきことが、彼らにはたくさんあったはずだ。中学生や高校生は、期末試験を控えていたのではないか。新入生を迎えるに先立ち、部活で次にやっておきたかったことだってあっただろう。春に試合を控えていた子たちは、短い青春のチャンスを奪われたかもしれない。終業式や卒業式もある。もしかすると、この学期末で辞める先生や、転校する友だちもいるかもしれない。そうした子どもたちの1人1人の権利や可能性や楽しみを、この要請は奪いかねない。

先生も大変だ。授業計画は壊れ、補習授業の展望も見えない。大切な段階に来ている授業もあったのではないか。あるいは、悩みを抱える生徒に寄り添おうとしていたところだったら、誰かの人生に関わる大切な日々を、奪う結果になるかもしれない。非正規の講師なら、収入減にも直結し兼ねない。

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