「子どもに尽くしてこそ母」という強烈な思想 「個」を消すための装置に囲まれて
現代だと、「ゲームやネットが有害だ」と言われていますよね。ですが私たちの世代では、「テレビや漫画が有害だ」と言われていましたし、明治時代には「小説が有害だ」と言われていました。
「子育ての敵」も、時代によって変わっていきます。
自然なら善でデジタルは悪?
――子どもにとって「小説が有害」だったんですか!
そうです。明治の初めのころは「小説を読むと死ぬ」なんてことをまじめに論じる思想家もいました。明治中期になっても、読書は麻薬と同じで「子どもがハマってしまうから悪だ」と言われることもありました。
「子どもがネットやゲームにハマりすぎるから、バーチャルリアリティーは悪だ」という主張にも、どこか同じものを感じます。
学校でオンラインの仕組みが整備されれば、自宅でも勉強ができるようになります。
不登校でも勉強したい子はいるはずですし、いじめで「教室へ行きたくない」という子でも、ネットで授業が受けられます。
コロナウイルスが広まって以降、多くの国では授業のオンライン化や、学童・生徒へのiPadの貸与・配布を行っていますね。
日本でも似たような取り組みを進めている自治体もあります。ですが全体として見ると、日本では保守的なえらい人たちが「自然=善」「デジタル=悪」だと思っているようで、なかなか変化していきません。
地域によっては、教育委員会とPTAが共同で週に1度、もしくは月に1度、家庭でテレビやパソコンなどをつけない「ノーメディアデー」を実施しているところも少なくありません。
私は「それは無理だよ」と思うんですけど(笑)。わが子が小学校に上がって初めて公立の学校のローテクぶりに驚いて「おたよりや欠席連絡はIT化してほしい」と不満をもらすお母さんたちも多いです。
とはいえ、PTAに順応した先輩お母さんたちから「ネット環境がない家もある。何も知らないくせにわがままを言わないで」とあたかも不道徳な発言をしたかのようにたしなめられて口をつぐまざるをえず、オンライン化を働きかける大きな動きにはなりづらいのが現状です。
たしかに環境整備にお金はかかりますが、学業に必ずしも必要でない高額な制服やランドセル、書道セットなどはほぼ強制購入なのに、学業で必要なオンライン化にお金が使われないのはアンバランスだと感じます。