新型コロナでも「普通の葬儀ができるはずだ」 ウイルス専門家の西村医師が現状を問題視

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――物の上で数時間生きているとか、数日生きているとか言われて皆、消毒に神経質になっています。

プラスチック上で4日という話が独り歩きしているが、それは大量のウイルスを生き残るための最適に近い条件においた実験での話で、一般の社会生活とは別の話だ。実験データをきちんと理解しておらず論文をまともに読んでいない「専門家」の説明を鵜呑みにしている。

ウイルスは時間の経過とともに、大きく減っていく。実験条件によって1時間から3時間ぐらいで半減し、そこからまた同じ時間で半減するので、よほどたくさんのウイルスがいないと長時間残らない。たとえ少し生き残ったとしても、それを指で触って指に移る効率はかなり低いし、さらにそれが感染につながるまでの間にウイルスは死ぬ。

「よほどたくさんの」というのは、たとえば咳やくしゃみで落下する液滴レベルではそこまでに達しないし、感染者がマスクをしていれば、それすらないと断言できる。感染した人が故意に自分の咳やくしゃみや唾液を手に吐き、それを塗り付けるくらいのことをしないと無理だ。それはテロ行為ともいえる。われわれはテロを警戒しているのか。

何度も繰り返すが、理解して欲しいのは、生きている人の体内には病原ウイルスはいるが、環境にはほとんど存在しないということ。感染者がいる病室のような場所以外では問題にならない。そんじょそこらに危険なウイルスがまき散らされていて、それによる感染の「可能性は否定できない」という言い方をする「専門家」が多い。だがそれは間違っている。

可能性が「ない」ことを証明することは悪魔の証明ともいわれ至難の業であり、それこそ不可能である。それが「ある」という側が実例をもって証明すべきである。棺でもいい、スーパーの包装でもいい。一般の環境にウイルスがいると言い張る人たちはぜひ一般環境から生きたウイルスが検出されることを、環境調査をやって証明してほしい。

蛍光塗料による実験はミスリード

私は以前、新型インフルエンザの流行期に環境調査をやってみたことがあるが、何度やってもまったく検出できなかった。その代わり細菌はうようよいた。テレビに出てくる「専門家」はみな細菌しか頭にない。

彼らが視覚に訴えるためによくやる手だが、蛍光塗料で代用して見る環境のウイルス汚染の映像がある。だが、ウイルスは蛍光塗料とはまったく別物である。蛍光塗料を手にべったり付けるほどの量、あるいは空中に噴霧してあちこちの壁にまんべんなく付着するほどの量のウイルスを人は出していない。出ているのはそれらに比べたらきわめてわずかということになり、さらに感染性の点から見れば、体から出たそのわずかな量のウイルスもその後時間とともに失活し(死んでいき)感染性は失われる。

あのような映像とそれを用いた説明は、一般の人びとを、あるいはもしかしたら彼ら自身をもミスリードしている。

大崎 明子 東洋経済 編集委員

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おおさき あきこ / Akiko Osaki

早稲田大学政治経済学部卒。1985年東洋経済新報社入社。機械、精密機器業界などを担当後、関西支社でバブルのピークと崩壊に遇い不動産市場を取材。その後、『週刊東洋経済』編集部、『オール投資』編集部、証券・保険・銀行業界の担当を経て『金融ビジネス』編集長。一橋大学大学院国際企業戦略研究科(経営法務)修士。現在は、金融市場全般と地方銀行をウォッチする一方、マクロ経済を担当。

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