「自由」を危機にさらす「全員PCR検査論」の罠

「誰のためのPCR検査なのか」冷静に考えたい

日本の対策は手ぬるいという人たちはこの光景を望むのか。写真はドイツ(写真:REUTERS / Christian Mang)

しかし、筆者が私たちの自由を思う心の劣化を感じるのは、全員PCR検査論のような主張よりも前に、自由の先進国であるはずの欧米諸国で一般化してしまった「外出禁止令」に対してである。

誤解のないように書き添えておくと、筆者は、人々に外出の「自粛」を呼びかける日本政府の行き方を支持している。ワクチンも治療薬もない状況での感染症対策は、究極的にはワクチンや治療薬が出てくるのを待つまでの時間稼ぎしかない。時間稼ぎで重要なのは、人と人の接触頻度を減らし、医療崩壊を招かないレベルにまで感染拡大速度を抑制することである。

だが、それを法の強制により行うのか、それとも人々の自律的意思によって行うのかは、私たちの自由な世界を守るという点では雲泥の差がある。

よく知られているように、世界の主要とされる国々の中で、法の強制によらず人々の自律性によってこの感染症に対しているのは、スウェーデンと日本だけである。そのスウェーデンは人口比でみると日本よりもはるかに多くの死者を出しているが、それでも欧州諸国の中では突出して多いほうではない。

多いのは、ベルギーやスペインそれにイタリアやイギリスなどである。わが日本のやり方を手ぬるいとする意見がネット上では多く見られるが、筆者は日本がこの危機に「自粛」で対していることを誇りに思っている。日本は欧米に比べてもはるかに早く感染拡大という事態に直面したにもかかわらず、人口比死者数ではベルギーの250分の1、スペインの200分の1、英国の150分の1程度である。

警察権力でなく「人々の理解」で対策することの価値

そもそも外出禁止を法の力によって維持しようとしても、生活必需品の供給や外出禁止令を守らせるための警察官や憲兵の活動によって、感染自体は広がってしまうかもしれない。それが困るというのなら、警察官やスーパーマーケット従業員たちに頻繁なPCR検査を義務づけるほかはなかろう。だが、それは無理な話だろう。

感染症対策が確率的に感染速度を抑制しようとするものであるかぎりは、法の強制によるよりも人々の理解によるほうが実効も上がるはずなのである。それを保障するのが自由な世界を守りたいという心なのだ。

だが、そのためには、自粛を呼びかける側の説明も、理に適ったものでなければなるまい。気になる例を示せば、先の連休開始とともに児童公園の遊具を封鎖した東京都がある。このとき、東京都知事は、児童公園が他の生活基盤施設よりも感染クラスターを作りやすいという理論や証拠を持っていたのだろうか。

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