その一方で、このウィルス禍からの「出口戦略」と称して、「国民全員にPCR検査を受けさせよ」などという主張が出てきており、筆者はこれに強く反対する。現状のPCR検査について言えば、罹患している人を陰性者(偽陰性者、感染していないと判定)としてしまう可能性は決して低くないようだから、PCR検査を広範囲に行えば行うほど、大量の偽陰性者が「安心」して他人に接触して感染を拡げることになってしまう。PCR検査拡大は「出口戦略」になりえないのである。
だが、筆者が全員検査論に反対である理由はそれだけではない。それだけのことなら、この感染症に対する高感度で安価な検査キットがいずれ開発されれば解決できる。
治療ではなく「隔離ありき」という人権侵害
看過できないのは、このウィルス感染症に対する決定的な治療薬がない現状で、国民全員への検査強制を行うことは、罹患者を治療する仕組みではなく、陽性とされた人を隔離する仕組みにしかなりえないところにある。そのことの問題は、感染症検査で得られる結果が確率的なものであることから、さらに重大になる。
PCR検査においては、罹患していない人を誤って陽性(偽陽性)としてしまう確率は小さいようだが現実にある。隔離とりわけ集団隔離のための検査は、その確率が小さなものであったとしても重大な結果を招きかねない。彼らを本当の感染者と一緒に隔離施設などに収容すれば、それは非感染の人を無理やり感染させることにつながるからだ。
もちろん、この問題は検査で陽性とされた一人ひとりを完全に個室隔離すれば解決できるはずだが 、イタリアや中国武漢における感染症対応施設で写された野戦病院のような光景がメディアを通じて伝えられると寒気を覚えざるをえない。また、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の経験から言っても、同一施設内の個室隔離では感染拡大を完全に防ぐのは難しいようだ。この問題は解決されたのであろうか。
そうした施設で感染者と一緒に「隔離」された偽陽性者は、直接間接での感染者との接触によって、遅かれ早かれ真の陽性者になってしまう。しかも、そうした人たちは隔離の入り口段階では「陽性者」として扱われていたのだから、自身が真の陽性者となった後では、かつて間違って感染者として扱われていたことを事後的に証明することすら不可能になってしまう。彼らは永遠に救済されないのである。
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