東大生が「難しい本もスラスラ読めちゃう」ワケ 3つの「読むべきポイント」で誰にでもできる
僕は、「本は魚のようなものだ」と考えています。
魚って、頭から尾っぽまで、真っ直ぐに1本骨が通っていますよね。その背骨から枝分かれした骨があり、身がついています。魚を食べるときには、骨と身を分けないといけません。
どんな文章であれ、文章には一貫した主張があるものです。最初の段落から結論の部分までが、一貫して何かを主張している。具体例や細かい説明の部分は、その主張を補完するために書かれているわけです。
この「一貫した主張」が骨で、「具体例や説明」が身です。わかりやすかったり、読んでいて印象に残りやすいのは、この「具体例」や「説明」のほう、つまり身です。
大切なのは「言いたいこと」を理解すること
美味しいのは身のほうなので、多くの人は身にばかり目を向けてしまいます。でも、大切なのは骨の部分。身と骨を分離して、きれいに「骨」を理解することが求められるのです。
たとえば、次のような文章があったとします。
この文章で記憶に残りやすいのは、「マリー・アントワネットは『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』なんて言っていない」という具体例ではありませんか?
でも、この文章が本当に伝えたいのは「疑いの目を持とう」ということです。つまり、マリーアントワネットの話は「身」で、「疑いの目」の話が「骨」なのです。
この話を要約してくれと言われて、マリー・アントワネットの話をしたら「わかってない」やつだと笑われてしまいます。要約として適切なのは「疑いの目を持とう」という話で、マリー・アントワネットの具体例はそれを補足し、説明するためにあるだけなのです。
短くまとめる「要約」の必要性について、わかってもらえましたでしょうか。
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