Aさんが「家族とも別れることになるかもしれない」と思い詰めたのは、この頃だった。同居していた長男も発熱したことから保健所に掛け合ったが、この時も検査を認めてもらえなかった。
Aさんはひどい息苦しさも感じるようになっていた。
「苦しくてあくびもできず、トイレに行くのもつらかった」(Aさん)。
妻はAさんのために「救急車を呼ぶ」と言い、長女は動転して泣き出した。
そして4月4日、通っていた診療所でレントゲンを撮ってもらったところ、肺炎が見つかった。担当の医師はこの時も保健所に掛け合ったが、しばらく待たされた末に「(37.5℃以上が4日以上続くという)基準を満たさない」として、またもやPCR検査を却下された。
「強い薬を渡しますから、これを飲んで様子を見てください」
この際に医師から処方された抗生物質を飲んだことで、幸いにも肺炎は快方に向かったが、4月末時点でもまだ炎症が残っているという。結局、AさんはPCR検査を受けることができず、新型コロナに感染していたかどうかもわからないままだ。
Aさんによれば、サポートセンターや保健所の担当者からは、氏名や連絡先を一度も尋ねられることがなかったという。
「担当の方は対応こそ丁寧だったけれども、PCR検査は受けられません、の一点張り。肺炎にもなったのに検査もしてくれないというのは納得できない」とAさんは語った。
Aさんが苦しんでいるのと同じ頃、さいたま市の対応の厳しさが全国に知れ渡った。それは保健所長の発言がきっかけだった。
4月10日、保健所長は「病院があふれるのが嫌だったので、少し厳しめに、本当に陽性になりそうな人だけを検査する方針があった」と記者団に答えた。そのときまでの2カ月間にさいたま市が実施したPCR検査はわずかに170件余り。その陰で、Aさんのように検査を受けられずに苦しんでいた市民は少なくないとみられる。
医師が必要だと認めても「門前払い」
さいたま市と同様に厳格なルールが導入されているのが、東京都内の自治体だ。
神奈川県相模原市で在宅医療を営む小野沢滋医師は、「都内と神奈川県内の保健所では、新型コロナウイルスの陽性疑いの患者さんへの対応がまったく異なる」と指摘する。
「神奈川県内在住の重度心不全などで寝たきりの患者さんに、38℃以上の間欠的な発熱、酸素飽和度の低下が見られたことから、県内の保健所に掛け合ったところ、即座にPCR検査を受け付けてもらえた」(小野沢医師)。
これとは対照的に、小野沢医師が経験した都内の保健所の対応はまったく異なるものだったという。
「ある患者さんは38℃以上の発熱が間欠的に5、6日続いており、酸素飽和度の低下があった。抗生剤も効果がなく、新型コロナを否定できない症例だった」(小野沢医師)。そこで保健所にPCR検査の実施を求めたものの、「先生のほうでCTスキャンを撮っていただき、肺炎の所見があれば、PCR検査につなげたい」との返答があったという。
これには経験の長い小野沢医師も驚いた。「在宅の寝たきりの患者さんで、非典型的な肺炎が疑われているのに、防護装備も満足に持たない介護職員の手を借りて患者さんのCT画像を撮ってくれ、それで肺炎の所見があればPCR検査を受けさせてもいいという説明には、これが同じ国で起きていることなのかと耳を疑った」(小野沢医師)。
厚労省の通知では、医師が必要と判断した場合には、PCR検査を受けられるようにすると明記されているが、現場の運用は必ずしもそのようになっていなかった。
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