大学に通いながら、大学近くにあるテニススクールに通った。すっかりハマってしまい週6回通うようになった。
「レッスン料を、月8万円以上使ってましたね。ストイックに練習して、試合にもバンバン出ていました。さすがにそれだけトレーニングしていたら、スクールではすぐに最上級クラスになった。でもスクールを出ると、もっと上のレベルの人たちはたくさんいて、いったいどこまでテニスをやればいいんだろう? という気持ちにもなりました」
『養殖中華屋さん』は開始から3年間でサービスが終了した。
他のゲームを作るにもどうしていいかわからず、また情熱もわかなかった。
大学では社会学を専攻していた。卒論は何を書こうか迷っていた。先生に、
「少女マンガとテニスについてくらいしか、書けません」
と言うと、
「だったら少女マンガについて書けばいいじゃない」
と言われた。
『少女漫画の女性像』というタイトルで、少女マンガの発展と、女性進出とともに少女マンガの主人公はどう変わってきたか? などを書いた。
「卒論を書いていて研究って面白いなってなりましたね。それがきっかけとなり、卒業して何年か後には少女マンガのコラムを書くようになりました。先生のアドバイスは本当に的確でしたね」
32歳で大学卒業→失恋→海外留学へ
そして32歳で大学も卒業することになった。
ちょうどその頃、好きだった男性にも振られてしまった。
「『日本にいる理由が1コもねえ!!』って思いました。だったら、ずっと行きたかった海外留学をすることにしました」
留学先はスペインに決めた。
スペイン語の語学留学をした後、1カ月間スペインのテニスアカデミーに通った。世界中からプロテニスプレーヤーになりたい子供たちが集まってくるようなスクールだった。
「32歳ではもうプロにはなれないのはわかっていました。でも『どうしてもプロになりたいんです!!』って熱烈なメールを書いて入学させてもらいました」
毎日5~6時間、テニスのレッスンを受けるスポ根な日々が続いた。
「ただテニスを将来、仕事に活かそうとは思ってなかったですね。なにか将来のビジョンがあって、入学したわけではないです。英語の専門学校や早稲田大学もそうでした。ただ、そのとき通いたいから通ったというだけです」
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