和久井さんは、埼玉県所沢市で生まれた。
父親は出版社に勤めていたので、幼い和久井さんのために会社のマンガ雑誌や学年誌をよく持ち帰ってきてくれたという。
「子どもの頃はずっと少女マンガばかり読んでました。そのときは何も考えてなかったですけど、今思えば小さい頃に読んだ本って大切な財産なのでよかったと思います」
父親は
「お前は将来、持ち込みとかしてマンガ家になるんだろ?」
と和久井さんに言った。それを聞いた母親は、少し嫌な顔をしていた。
「小さい頃から絵を描くのは好きだったし、マンガ家にもなりたかったんですけど。マンガ家になるためにすごい努力する、という感じではなかったですね。どうせなれないだろうって思い込んでました」
小学校時代はややインドア派だったが、中学校に進学すると母の影響でテニス部に入った。
一転してテニス三昧の日々を送った。
「高校時代はグレて部活はやりませんでした(笑)。短大に進学してまたテニスサークルに入りました。世の中はバブル真っ盛りの頃ですね」
早稲田大学のテニスサークルに入った。いわゆるインカレ(インターカレッジサークル)という、他大学との交流ができるサークルだった。
「テニスにハマっていましたけど、短大だったので、当然早稲田の人たちより先に就職になりました」
就職先で学歴区別され、やる気が消失
卒業後は大手電機メーカーの子会社に就職した。内定時には仕事の内容は「ワープロのインストラクター」と言われていたのだが、入社の3週間前に突然営業事務に変更された。
「研修で会社に行ってみると、四年制の大学の人たちはワープロのインストラクターで、短大以下は事務仕事って振り分けられていたんです。『なんじゃそりゃ!!』って思いました」
和久井さんは、もともとワープロが使えたし、インストラクターの仕事だと言われたので勉強していた。学歴で区別されているのがありありとわかった。
「事務の仕事自体には不満はなかったんですが、なんだかやる気がなくなってしまいました」
和久井さんの母親は
「会社を辞めるんなら、早いほうがいい」
と言った。
「うちの母親は『女は結婚して子供を産むのが幸せ』っていう考えの人だったので、今の会社が嫌ならとっとと辞めて、新しい会社に行って男を探せって言われました。結局、4カ月で退社しました」
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