さらに、時代が追い討ちをかける。大恐慌から第2次世界大戦を経て1960年代までは、自由の国アメリカであっても、その経済学の半分はケインズ経済学がその位置を占めていた(“ニューディーラー”つまりニューディール政策のブレーンたち)。
不況を救い好景気をもたらしたニューディール政策は、その成功ゆえに効果が徐々に飽和し始め、1970年代にはインフレに苦しむようになる。それを背景にして新古典派がケインズ批判の勢いを増し“主流派”を形成、1980年に「新自由主義」を掲げる共和党のロナルド・レーガンが大統領に当選するに及び、経済学界の趨勢として[主流派=新古典派=一般均衡理論]の勝利が決定的となる。
これを岩井氏は経済学の「反革命」なのだと論じる。
くしくも岩井が『不均衡動学』を完成させた年に、経済学界と政治の世界では新古典派がその地位を確固たるものにしたのである。
唯一無二の理論家の「東京大学への帰還」
岩井氏はそれでもアメリカでの活動を考えていたというが、逆風の中で学者としての成功を望むのであれば、いま以上の政治的経営的な交渉力が必要になる。
自身には不可能だ、そう考えていたところに、東京大学経済学部からの招聘状が届く。学部長の宇沢弘文からの招聘だった。日本に帰る潮時だと悟った岩井氏は帰国の決心をする。
帰国前に、理解者であったジェームズ・トービンはこう声を掛けている。
おそらくトービンは新古典派全盛の時代が来ることを認めつつ、20年も経てば反革命が収まり、再びケインズ経済学が再評価され、その暁には『不均衡動学』はその中心として再評価されると考えていたのだろう。
しかし、トービンの見通しは甘かったのかもしれない。2000年前後のアジア金融危機とITバブル、2008年のリーマンショック、2010年の世界金融危機を経てもなお、ケインズ経済学が主流派に復帰することはなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら