また、余談だが、ピケティが『21世紀の資本』で明快な答えを出せずにいた、資本家の富の増加以上の経営者の報酬の飛躍的な上昇も、岩井氏はすでにこの時点で、エージェンシー問題と絡めることで理論的にほぼ説明をし終えている。
そしてさらに自らの議論を延長したうえで、契約の不可能性が原理的に避けられないがゆえに、「契約」に代わる会社統治に必要なものとして「信任」の必要性をあぶり出す。それが、氏の『信任論』につながっていく。その法体系的な可能性を哲学者のイマヌエル・カントのテクストから示そうとする試みは今も現在進行形で続いている。
経済学から法学、そして社会科学へ
「経済学史」の授業を受け持つことをきっかけに、岩井氏は資本主義や貨幣経済の淵源を見つめ直すことになる。経済学はアダム・スミスを祖とすれば300年の歴史となるが、氏の理論家としての視点から、古今東西からその雛形(理念型)を探す作業に取りかかる。
『ヴェニスの商人の資本論』の拡張版ともいえるアプローチだが、どこかジョン・ヒックスの『経済史の理論』を思わせる、卓越した理論家でなければ発想することも難しい仕事だろう。
紆余曲折を経て、岩井氏はアリストテレス時代のポリスに注目する。アリストテレスの論考から、コミュニティーの存続と破壊の両面を持つ貨幣という存在をすでに明確に自覚していることを見いだし、最新の書籍『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』の中でも一部を披歴している。
また、重商主義時代のジョン・ローに、ケインズに先駆けての自己循環論法的な貨幣論を見いだし、現代の管理通貨制度や中央銀行制度の原型を確認している。
現在の岩井氏は、これまでの貨幣の考察を踏まえ、「法」に加え、「言語」にもその思考を広げている。「言語」も、媒介的、自己循環的な性質を持っており、また、この3つが「価値」「権利」「意味」という、社会科学を考察する際のエレメントでありうると岩井氏は直感しているのだろう。
これは2010年からリベラルアーツが中心のICU(国際基督教大学)に拠点を移したことと無関係ではないだろう。まだまだ時間がかかる、そのように笑顔で話す岩井氏の「社会科学の図鑑」の完成が待たれるところである。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら