人間を不幸にする「資本への奉仕度」の格付け 革命の原点は「僕は嫌だ」と言える身体にある
マルクスの「真髄」をいきなりのみ込ませる入門書
私事から始めて恐縮だが、経済学者の石川康宏さんと『若者よ、マルクスを読もう』という中高生向けのマルクス入門書を書いている。マルクスの主著を1冊ずつ取り上げて、石川さんは経済学者という立場から、私は文学と哲学の研究者という立場から、中高生にもわかるように噛んで含めるように紹介するという趣向のものである。
第1巻で『共産党宣言』『ヘーゲル法哲学批判序説』『ユダヤ人問題によせて』。第2巻で『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』と『フランスにおける階級闘争』。第3巻で『フランスの内乱』と『マルクスとアメリカ』についての共同研究。そこまでは出した。
最終巻で『資本論』を論じて、それでめでたくシリーズ終了という計画だったが、「次は『資本論』だね」と確認してから2年が経過してしまった。停滞しているのは、私が忙しさに紛れて書かずにきたせいである。
しかし、ここに白井聡さんの『武器としての「資本論」』が出てきた。一読、あまりの面白さに、「そうか、こういうふうに書けばいいのか!」と膝を打ったのであった。そして、いまは自分の『資本論』論が書きたくて、うずうずしてきた。コロナ禍でしばらく暇が続くので、書き始められそうである。届かない原稿を待ち続けていた編集者のために白井さんは陰徳を積まれたことになる。
私が膝を打った「なるほど!こういうふうに書けばいいのか!」の「こういうふう」とは「どういうふう」のことなのか。それについて書きたいと思う。
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