そこにある「SNSの呪い」に、皆まだ気づかない 潜在的、無意識的にこめられる「悪意」の怖さ
これは2年ほど前のことだ。ぼくが飛行機の窓から外を撮った写真をツイートしたら、「これって滑走路を走行中に撮った写真じゃないですか? だったらアウトですよね?」というリプライが来た。
もちろん、それは停止中に撮った写真で、当時の航空会社のルールに違反していたわけではないのだが(今は走行中でもセーフになった)、そのときに強烈に感じたのが、「多くの人々はぼくがルール違反を犯すことを潜在的、無意識的に望んでいる」ということだった。
多くの人にとって、ぼくはどうでもいい人間だ。そういう人間がルール違反に手を染めることほど、愉快なことはない。そのために、多くの人が潜在的、無意識的に、ぼくがルール違反を犯すことを望んでいるというわけである。
「呪い」は現代においても効果的
そういう、人々の潜在的、無意識的な悪意が言葉となって顕在化することを「呪い」という。人間の心理は不思議なもので、呪いに対する防御力がないと、すぐそれにやられてしまう。具体的には、人々が「自分がルール違反を犯すことを望んでいる」と知ったとき、それに応えようとしてしまうのである。
人間は、これも本能的、無意識的に、人々の期待に応えようとすることがある。たとえそれが自分の意に沿わないことであったり、ルール違反であったりしてもだ。上記の例でいえば、禁止されている場所で写真撮影を行い、それをアップしたい誘惑にかられるのである。
「呪い」の効果は存外に大きい。それは人間の無意識に訴えかける催眠術の一種なのだ。いうなれば心理的な攻撃といえよう。これは、現代においても非常に効果的である。いやむしろ、現代において鮮やかに復活した。
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