「愛国心」旺盛な人ほど他国のヘイトに走る理由 イエモン「JAM」が教えてくれる「愛国の罠」
進化心理学では、その程度の期間で人間の根本が劇的に変わることはなく、旧石器時代の狩猟民族としての性質は変わっていないと考えています。
つまり、男性は狩りに出て、女性は家やムラなどのコミュニティを守る生活をしていたころから、私たちのDNAはほとんど変わっていない、という考えなのです。
内集団バイバスにも「メリット」がある
文字で考えや思いを伝える手段もなく、声が届く近い距離でコミュニケーションするしかなかった時代です。
内集団のホモ・サピエンスと、外集団のホモ・サピエンスとでは、安心感や信頼度が大きく違ったであろうことは想像に難くありません。
そのため、内集団バイアスも、決して悪いものではなく、自分たちの生活を、効率よく守り、運用する手段として生まれた色メガネなのです。
その発想が「国家」という大きな枠に当てはめられると、愛国心につながります。また、もっと小さい自治体や、大学のサークルや家族といった、より小さなコミュニティにも内集団バイアスは存在します。いずれにしろ、ここまでだけの内容では、内集団バイアスはそこまで悪いものとは思えません。
ただ「内集団を過剰に評価したり、ひいきしたり」するとき、たいていは評価や比較の対象となる外集団が存在します。ここに、内集団バイアスの問題があるのです。
たとえば、明治大学で教鞭をとる私は、大学ラグビーの明早戦では、当然ながら明治大学を応援します。
え......、「早明戦」じゃないかって? いいえ、「明早戦」に決まっています。私たちは、先に来るもののほうが偉いというバイアスを持っています。
その傾向はことばにも表れていて「大小」「優劣」「老若」「長短」「父兄」のように、より社会的に評価の高いものを先に持ってくる傾向があります。
ですから、明治大学関係者は「明早戦」としたくなりますし、早稲田大学関係者は「早明戦」としたくなるわけです。
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