日本に「未曾有の事態」を乗り越える力はあるか 東日本大震災で学んだことを未来につなげる
私達は東日本大震災から多くを学んだはずだ。しかし、巨大な防潮堤は、この列島を改造し直し、技術の力で再武装すれば、自然の脅威から身を守れるのだと主張しているように見える。もしそうだとすれば、私達はあの大震災から一体何を学んだのだろう。
私は最初のボランティアから毎月のように東北の被災地に通い続けている。通い続ける中で気づいたことがある。東北地方に存する自然の圧倒的な豊かさだ。時に牙を剝くにしても、人を生かすに足る圧倒的な自然の豊かさがそこにはある。
自然のポテンシャルに満ちた国
人間の活動にとって制約であり、克服すべき対象として見られてきた自然とは別の、豊穣で恵みに満ちた側面を東北の自然に垣間見るにつけ、何とこの地は豊かなのだろうと思う。東北に通い続ける中で、東北の自然のそういう側面に魅せられるようになっていったが、果たして震災が起きる前、そのことをどれだけ認識していたのだろう。
あの震災によって発見し、認識し直したのは、この列島の自然が持つ破壊力の凄まじさと共に、生きとし生けるものの生命を支えるポテンシャルの高さ、生命にとっての生きる場としての豊穣さだった。いかに災害と隣り合わせの危険な国に住んでいるのかということを思い知らされたのと同時に、いかに自然のポテンシャルに満ちた国であるのかということを再認識させられ、私は、そのことにこの国に生きることの希望を感じるようになったのである。
以来、日本の各地を巡りながら考え続けてきたことを、先般、『日本列島回復論――この国で生き続けるために』にまとめた。その中に、9年前に東北で見たある光景の描写がある。私は、その光景を見た時に感じた希望、この国の可能性を多くの人と共有したいと思った。以下、該当部分をここに引用させて頂く。
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東日本大震災から1カ月ほどが過ぎた4月の終わり頃、ボランティアとして宮城県石巻市を訪ねました。南三陸町との境にほど近い石巻市郡部の海岸沿いは、津波に流され通れなくなっていた道路を、自衛隊が何とか通したというところでした。このため、リアス式海岸沿いの、湾ごとに点在する小さな集落は、それまで支援の手が届かない孤立集落となっていたのです。
現地で緊急支援にあたっていたボランティア団体から、手が回っていないので、そこに支援物資を届けてほしいと言われて、そのうちの一つの集落を訪ねたのですが、実際に行ってみて驚いたのは、そこの集落では、漁師のお父さん達が中心になって、皆で助け合いながら、和気藹々と生活していたことでした。
停電はしていましたが、漁船に積んでいた発電機を利用して電気は使えていましたし、ガスはもともとプロパンの地域ですから、コンロとボンベを直結して、問題なく使えていました。裏は杉山ですから、いざとなれば薪はいくらでもあり、煮炊きにはまったく困らない状態です。
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