日本に「未曾有の事態」を乗り越える力はあるか 東日本大震災で学んだことを未来につなげる
それだけではありません。木と水と土からなる森には、春には山菜が芽吹き、秋にはキノコや木の実が実り、野生鳥獣たちが1年を通じて暮らすのです。これらもまた森の恵みです。恵み豊かな森さえあれば、私たちは、とりあえず食べていける。そう考えると、森はいざという時に頼れるセーフティネットと言えるでしょう。
三陸海岸のように、森と海が隣接していれば、なお言うことはありません。山の幸だけでなく、魚介や海藻などの海の幸に恵まれるからです。豊かな森と豊かな海があれば、人は狩猟・採集・漁撈で十分に生きていけます。実際、原日本人とも言える縄文人は、山野河海の恵みだけで1万年以上もの長きにわたって高度な文明を築いて暮らしていくことができたのです。
日本列島を豊かにする「山水の恵み」
日本列島に豊かに存する山野河海の恵み。それをここでは「山水の恵み」と呼ぶことにします。東北地方、とりわけ世界でも屈指の漁場に面した三陸沿岸は、この山水の恵みにあふれた日本列島の中でも、特に恵まれた場としてあり続けたところです。
山水の恵みは、ただし、それを生かす技術を人の側に要請します。「Into the Wild」という映画があります(ショーン・ペン監督、2007公開)。人間嫌いの青年が、人間の穢れのない正常な場所での暮らしをしようとアラスカの大地を目指す物語ですが、この青年は、狩猟採集の技術が乏しかったため、動植物に恵まれたアラスカの大地で、なんと最後は餓死してしまうのです(実話です)。
鳥獣を射止め、さばき、腐らせたり虫がわいたりしないように干し肉や燻製にする技術、食べられる植物かどうかを見分ける技術、怪我や病気に対処するための薬草の知識等々、山水の恵みを生かすには、山水に対する知識と技術が必要です。そういう知識と技術がない人には山水は厳しい存在になりますが、逆に、知識と技術さえあれば、山水は恵みに満ちた存在となります。
孤立集落で出会った漁師達は、山水の恵みを生かす力を持った人達でした。「山水の恵みを生かす力」とは、例えば、沢の水を引いてきて水道を作ったり、ありあわせの材料で小屋や共同浴場を作ったりと言った、そこにあるものや自然の素材を使って、当面、生きていくのに必要なものを生み出してしまえる力のことです。
それはきちんとした設計図や材料がなくとも、見よう見真似で何とかしてしまえる手業と、試行錯誤しながら新しいものを生み出し、生きられる世界をつくることのできる知恵とから成ります。その手業と知恵は、山水と共に生きる中で自然と身につけてきたものです。
三陸の孤立集落には、共同体の力に加え、豊かな山水の恵みとそれを生かす力がありました。それらが組み合わさることによって、お金のあるなしに関係なく、人が生きられる世界がつくり上げられていました。津波の被害に加え、道路が通れなくなって孤立するという非常事態にあっても、誰も置き去りにすることなく、皆が人間らしい暮らしができる世界がそこにはあったのです。これこそが究極のセーフティネットだと思いました。
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