日本に「未曾有の事態」を乗り越える力はあるか 東日本大震災で学んだことを未来につなげる

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日本は東日本大震災から何を学んだのか(写真:SORA/PIXTA)

9年前、東日本大震災の発災から1カ月程が過ぎた頃にボランティアで宮城県石巻の被災地を訪れた。何もかもが破壊され、ぐしゃぐしゃになった被災地の様子を見て、津波の破壊力の凄まじさを知った。

あれから9年。いま、被災地を訪れると、その変わりように驚く。津波に押し流されたかつての漁師町は区画整理された更地となり、見渡せたはずの海は防潮堤に遮られている。もとの東北とは違う風景がそこにはある。

あの震災で何を学んだのか

風景を変えてしまうほどの巨大な防潮堤を建設することの是非は、震災直後から議論になっていた。しかし、津波の悲惨さを経験した人々は、少しでも安心できる道を選んだ。いや、どこまで選んだという実感を1人ひとりが持てていたのかはわからない。どこか自分のあずかり知らないところで、あずかり知らない力によって決まっていったのだと言う人もいるし、あの時はそれが正しいと思えたのだ、と言う人もいる。

確かに言えることは、あの状況の中、住民の総意を束ねることなどできようがなかったし、冷静な判断を下すことも不可能であったということだ。だから防潮堤の是非を今更とやかく言うつもりはない。ただ、海を見えなくさせている防潮堤の存在を見るたびに思うのは、私たちはあの震災で何を学んだのだろう、ということだ。

20世紀のテクノロジーは、人間や自然の限界を克服し、あるいは自然の脅威から人を守るために使われてきた。1972年に田中角栄が発表した『日本列島改造論』の、「改造」という言葉には、山を削り、海を埋め立て、コンクリートで塗り固めることで、この列島を好きなように作り変えることができるのだという強い自信なり自負なりを感じる。国土は変えられる。国土の限界を我々は克服することができる。そう私達は信じて、この列島の山野河海にコンクリートを注ぎ込み続けてきたのである。

だが、東日本大震災によって、私達の自信は脆くも崩れ落ちた。どれだけ「改造」を施したところで、私達は自然の脅威から自由になることなどできないのだということを思い知った。地震、噴火、津波、台風、洪水、山地崩壊。これら全てを人為で、技術の力で防ぐことは現実的には不可能だ。資源が少ない国土の制約を乗り越えるための切り札とされてきた原子力についても、それを使いこなすだけの技術も知識も持っていないことが露呈してしまった。

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