武漢の作家が語った「都市封鎖」60日間の惨状 900万人の被災者たちが心に負った傷は深い

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財新記者:いつ頃新型コロナウイルスの感染状況が深刻になったと感じましたか?  

方方:1月中旬だったと思います。その時すでに民間ではさまざまな噂が出回っていました。当時は事態が深刻になったとは思っておらず、ただその病気が感染するもので、多くの人が感染しているというのは耳にしました。私は1月18日からマスクを着け始め、同居している叔母にも買い物に出かける際はマスクをするように言いました。

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財新記者:(1月23日に)武漢が封鎖されるという情報を聞いたとき、何を思いましたか?武漢を離れようとは考えましたか?また、封鎖される日に武漢から離れた人についてはどう思われていますか?

方方:私はおそらく早めに武漢封鎖の情報を知ったと思います。1月22日の夜に空港に娘を迎えに行き、帰宅したのはすでに1月23日の午前1時頃でした。私は普段から就寝時間が遅いので、スマートフォンを見てすぐに武漢封鎖の情報を知りました。

武漢を離れようと思ったことはありませんし、もちろん事態があれほど深刻な局面になるとは考えもしませんでした。23日午前10時に正式に封鎖される前に、武漢を離れた人たちの考えについては理解できます。逃げるというのは人間の本能ですから。その人たちを罵倒している人たちもきっと、もし当時武漢にいたらほとんどが真っ先に逃げ出したのではないでしょうか。  

武漢の封鎖が変えたのは人の心

財新記者:封鎖期間中は日常生活に何か変化がありましたか?日々の過ごし方や物資の不足は?  

方方:私は寝るのが遅いので、基本的にはお昼ごろに起きて夜中に就寝していました。執筆は夜に行って、午後に家事や料理、それから感染状況の情報を調べていました。今のところ私の物資は不足していません。

春節(旧正月)だったので、それなりの備蓄はありましたし、同僚や友人が食べるものを買ってきてくれたりもしました。それに食糧の支給も頻繁に行われており、私は小食なので、1回の支給分でも数回に分けて食べることができました。  

財新記者:もしウイルスの発生がなかったら、本来どのように春節を過ごす予定でしたか?武漢が封鎖されたことによって個人の生活に起こった一番大きな変化は何でしょうか?  

方方:あまり変わらないですね。今年の計画はまず執筆中の中編小説を書き上げることでした。武漢の封鎖が変えたのは人の心だと思います。武漢の人々のこの惨状を見ていると、強い憤りと悲しみを感じます。

この事態が収束した後、彼らの死が無駄になってしまうのではないかと不安に思っています。私は生きている人々が、(自分たちの)利益のために、死者が何のために亡くなったのか軽んじてしまうのではないかと心配しています。

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