武漢の作家が語った「都市封鎖」60日間の惨状 900万人の被災者たちが心に負った傷は深い

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財新記者:この期間、自分が感染してしまうのではと恐くなったことはありませんか?

方方:あまり恐れはしませんでした。私は長らく郊外に住んでいますし、自分が足を運んだ場所や接触した人、時間などを振り返ってみても感染する可能性は低いと思いました。

でも可能性はゼロではなかったので、一日一日状況を見て、春節前には自分が感染していないことに確信が持てました。ただこうやって過去を振り返って可能性を排除するという方法も、よく考えてみれば、とても虚しいものです。

財新記者:アウトブレイクが起きている期間中、武漢の人々の心情は毎日ジェットコースターに乗っているかのように、悲しみ、感動し、怒り、恐れていたように感じます。この期間全体を通して、一番悲しいと感じた出来事は何でしょうか?また一番怒ったこと、感動した出来事は何でしょうか?

方方:最も悲しいのはもちろん人の死です。仲のいい人や同級生の死、みんな治療を求めながらも自分の無力を実感していることを知ったときは、とても辛かったです。その中でも最もショックだったのは常凱一家の死(訳注:中国湖北電影製作所の著名な映画監督である常凱一家4人が2月に相次いで死去したこと)です。

一番憤ったのは初動が遅れたこと

一番憤ったのは、初動が十数日から二十日ほど遅れたことにより、後々の深刻な混乱を招いたことです。これは人災です。最も感動したことはやはり、医療従事者たちの勇敢な姿です。そして、武漢人の自制力と彼らの李文亮医師(訳注:武漢中心病院の眼科医。新型コロナウイルスについて12月末にいち早く警鐘を鳴らしたが、警察から訓戒を受けて自らも新型肺炎に感染、2月7日に死去)達に対する気持ちです。

財新記者:あなたの日記は武漢での感染症の状況を理解する窓口になっています。武漢以外の人たちが毎日起きてからまず「方方日記」を読むことが日課だと言っていますが、意外だと思いますか? なぜそこまで注目されたと思いますか?

方方:意外どころではなく、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。なぜそうなったのかさっぱりわからないし、微博(中国版ミニブログ)で好き勝手におしゃべりをするのも最近始めたことではないので、今回は驚きの極みです。他のメディアに書かれた記事を読んだことがないので、自分が他の人と何が違うのかわかりません。

財新記者日記を書き始めたきっかけはなんですか?

方方:特に理由があるわけでもないです。雑誌『収穫』の編集長が寄稿を依頼してきました。その時、私は気分が悪くてあまり書きたくなかったのですが、その後、考え直してみたら、記録として残してもいいじゃないかと思いました。最初は好きなときに書いていましたが、微博ではいろいろな制限がなくて便利でした。

その後、友達のウィーチャット(SNS)を使って代理投稿しました。ウィーチャットでは1日に1篇しか投稿できなくて、しかも深夜12時を過ぎてからしか出せないので、夜に書くことにしました。そして書くのがその時間ともなると、資料も少し多く集められます。

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