「麺屋 丈六」を作った元原発作業員の快活人生 安定した関西電力を40代で離れ勝負に出た

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その時、丈六さんは42歳だった。脱サラして開店したお店を辞める、ということに焦りは感じなかったのだろうか?

「これで後がなくなった、みたいな焦りは全然なかったですね。バツイチで独身でしたし、自分の思うままにやったろうって考えてました」

名店に弟子入りし、2年間修行した。

そしてその後、大阪の天保山の近くにある世界最大級の水族館「海遊館」の中に店舗を出した。店舗の名前は「○丈」だった。

「和歌山のラーメン屋さんは○をつけていることが多いので○丈にしました。メインのメニューは高井田ラーメンと、和歌山ラーメン(しょうゆとんこつラーメン)でした。どちらのラーメンも修行はしていないので、見様見まねで作りました」

「○丈」は徐々に話題になり、本の企画で取り上げられたりもした。ただ、水族館という場所柄、土日は混むが平日はヒマという欠点があった。2年間お店を続けた後、再契約はせずに新たな場所に引っ越すことにした。

引っ越し先は“ウラなんば”

「9年前、いろいろ物件を探して難波に引っ越してきました。今は“ウラなんば”って呼ばれて、もてはやされてますけど当時は全然人気なかったですよ」

ウラなんばとは、千日前通り商店街の南にあたる場所だ。さまざまな人気店が密集し、テレビなどでも取り上げられることが多い。

開店当時、今と異なり人けがなかった“ウラなんば”へ店を移転(筆者撮影)

「僕が来たときはまだ砂利道で、夜も人通りがなくて真っ暗ですよ。店は3~4軒しかなくって、違法の裏ビデオショップとかが立ち並ぶ怪しい通りでした」

知り合いのラーメン店主には「あかん、あんなとこに店出すな」と忠告された。ただ、とても家賃が安かったので、現在の場所に決めた。

「まあヒマだったら1人でぼちぼちやろう、と思ってたんです。実際最初は、夜の部は1人でやってました」

ところが開店してすぐに、ラーメンブログのブロガーの人たちが食べに来て記事をアップしてくれた。海遊館より難波に来るほうが楽なので、ラーメンブロガーの方々が来店する頻度も高かった。そして、口コミで火がついた。土日は行列ができるようになった。

そして2012年「第1回 究極のラーメンAWARD関西」のグランプリに選ばれるとますます人気は高まり、平日にも行列ができるようになった。

「急に電話がかかってきて『おめでとうございます。総合グランプリです』って言われました。実感がないというか、『え? 僕でいいんですか? いっぱいラーメン屋さんあるじゃないですか?』って感じでした」

次ページ2015年には製麺機導入・店名を「麺屋 丈六」へ改める
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