ただ、剣道以外にはなかなかやることがなかった。
そこでオートバイを買って、峠道を走ってみた。丈六さんは何事にもぐっと“のめりこむ”タイプである。オートバイにもすぐにのめりこんで、サーキットライセンスを取得して鈴鹿サーキットで走った。
バイクライフは楽しかったのだが、先輩所員2人がバイクで転んで足を骨折してしまった。会社からは「バイクは禁止」のお達しが出た。
「当時の課長がゴルフ好きだったんですよ。だからじゃあ次はゴルフをやろうかなと思ってはじめました」
ゴルフもすぐにのめりこんだ。夜勤明けで帰ってきて、そのまま寝ずにゴルフ場に直行。夕方までプレーをして家に帰ってから爆睡する、というタフな日もあった。26歳で結婚したときはいったんやめていたが、32歳で離婚して再び始めた。
「ゴルフプロにガッツリ教えてもらい、カントリークラブの競技会にも出場したね。当時スコアも平均80台、最高は79でした」
早期退職制度を利用し、いよいよラーメンの道へ
そうして関西電力で37歳まで働いた。関西電力は早期定年退職という制度を作った。28歳以上の人は辞めることができ、退職金は少し多めに支払われるというルールだった。想定としては、給料の高い高年齢層に対する“肩たたき”のような制度だった。
「どさくさに紛れて『僕も辞めます』と手を上げました」
発電所の核分裂を監視する運転員は、外部の研修施設で教育を受けている。その教育にはとてもお金がかかっている。せっかく育てた働き盛りの人材が、急に辞められるのは困る。
「会社の上の人にめちゃくちゃ怒られました。『レール敷いてるのわかってるんだろ?』って。でもチャレンジしたいことがあるんです、って辞めました」
中途採用試験を受けて、大手中華料理グループ店に転職した。しかしあまり相性が合わず、2カ月くらいで辞めてしまった。
「ラーメン好きだから、ラーメン屋やったろうと思ってラーメン屋さんに勉強に行きました。実はそれまで、いっさい料理してこなかったんですよね。食べる専門でした」
半年間、ラーメン屋さんでアルバイトした後、大阪府寝屋川市でラーメン屋を開店した。塩ラーメンをメインにしたお店だったが、鳴かず飛ばずだった。
「初期投資も回収できない感じでした。ラーメンなめとったな、と思いました。1回、やめてちゃんと修行することにしました」
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