「麺屋 丈六」を作った元原発作業員の快活人生 安定した関西電力を40代で離れ勝負に出た

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和歌山の工業高校の電気科に入った。

「高校でも剣道やっていました。剣道を指導してくれた先生が国体で優勝した人で、めちゃくちゃしごかれました。今の基準で言ったら、厳しいどころのさわぎじゃないです。勉強もしてましたし、真面目な高校生活を送ってました」

当時、工業高校の電気科は卒業後の就職は、引く手あまただった。クラスの半分以上は一流企業に就職していたという。

高校卒業後は関西電力へ

そして、丈六さんは関西電力に入社した。

「電力会社はつぶれんからいいわ、って思って入りました。福井の原子力発電所、高浜発電所の勤務になりました」

当時は、和歌山県日高郡日高町に原子力発電所を建てようとする動きがあった。おそらく福井の原子力発電所で経験を積んで、和歌山の原子力発電所が完成したら移ってきて働いてもらう……というもくろみだったのではないか?と丈六さんは思う。ただし、和歌山の原子力発電所の計画は頓挫してしまった。

「結局福井の原子力発電所で16年、大阪で3年間勤務しました。最初はパトロール員から始まり、中央制御室のオペレーターへと順調に出世しました」

関西電力勤務時代の丈六さん(写真:丈六さん提供)

原子力発電所の仕事は、想像どおりとても緊張感があるものだったという。

「原子力発電所のワンプラントを建てるには、ざっくり3000億円くらいが必要です。何かミスって施設が止まったら、1日1億円くらい関西電力は損をしていきます。理由はなんであれ、一旦停止したら2~3日は再起動できません。1回止まったら2億~3億円の損です」

つねに国の検査員が常駐し、見張られている中での作業になり、それもストレスになる。仕事内容のプレッシャーもあるが、勤務時間もなかなかハードだ。原子力発電所は24時間動いているため、輪番で深夜の労働もある。

「緊張で胃に穴があく人もいたし、円形脱毛症になる人もいました。ただ僕は天真らんまんな性格なので、それほど気負わずにひょいひょいとやっていましたね(笑)」

丈六さんは仕事内容に不満は感じなかった。日本の最先端の技術に触れられることは誇らしかったし、社会に貢献しているという思いもあった。

「ただ高浜原発があるのは福井の田舎なので、やることがなかったですね」

社会人になっても剣道は続けていて少年剣道教室とかに練習に行っていた。大阪で開催される剣道の練習会に参加したときは、ラーメン本を見ながら府内のラーメンを食べ歩いた。

「当時、いちばん好きだったラーメンは相生橋の『月光仮面』というラーメン屋さんでしたね。鶏ガラ和風ダシのラーメンで好きでした。もう今はなくなってしまいましたけど」

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