「何も決まらない会議」には"推論"が欠けている "思考の背景"を共有すれば激変する
このように、「推論」によって答えは正反対にもなる。同じ事実や事象を見ても、どう捉えたか、何に着目したか、どのように考えたかで、結論は大きく異なるのだ。これが「推論」の恐ろしさであり、面白さでもある。
人によって、「推論」の仕方が違うから価値があるとも言える。だからこそ、結論だけでなく、「推論のはしご」もセットで共有することが大事なのだ。
他人の意見も受け入れやすくなる
「結論を出す会議」で往々にしてあるのは、「なぜ、そう思ったのか」を言わずに、「賛成」「反対」となることだ。これでは、いくら議論をしても正しい結論は出ない。だから結局、多数決か、役職の高い人が決めてしまいかねない。
どのような事実や事象から、どのような「推論」をして、どのような判断や結論を出したのか。この「推論のはしご」を共有すると、考え方や結論に至った理由を誰もが理解できる。事実の認識が違えば、「推論」も変わる。だから、「何を見たか」「誰から何を聞いたか」「どのような事実からそう思ったか」についても共有する必要がある。
そもそも、人は自分が賛成、反対の意見を言って立場を鮮明にすると、その立場にコミットした手前、自分の言ったことに固執してしまい、他人の意見を受け入れにくくなってしまう傾向がある。しかし、自分が知らない事実があることがわかれば、考えもおのずと変わることもあるし、それによって当初の結論を変えたとしても不思議なことではない。
「そういう事実があることは知らなかった。私はその事実を前提としない意見を言ったので、確かにそれもあると思いました」
このように意見を変えることができる。
また、「推論」をする際に、どこに着目したのか、どう考えたのかまで共有できると、次のように他の意見を受け入れることができる。
「私は、リスクのほうに目を向けて考えたが、確かに今こそ勝負のとき、というとらえ方をすれば、その案もありえますね」
意見を変えるという心理的抵抗は少なくなり、固執していた人もメンツを保ったまま、意見を変えやすくなるのだ。
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