働かないオジサンは、社会と切れている
私が、新入社員のときにいちばん奇妙だと感じたのは、電話をかけたり、書類を作成したりするだけで、給料がもらえることだった。私の実家は薬局を営んでいたのだが、母が閉店後に、毎日の売上金から仕入れに回す分のおカネ、食費、光熱費のおカネなどを封筒に入れて整理していた。
この経験から、個人事業主は社会と直接的につながっているが、会社組織で働く社員は会社を通して社会と間接的に向き合っていることに気がついた。
一人ひとりの社員は、仕事のパーツ、パーツを受け持つ分業制だから、電話を取り次いだり、書類を作成したりするだけで給料がもらえる。会社は、法人という形で、社会と直接つながっているが、そこで働く社員は、会社を通して初めて社会と関係を持っているのである。間接的な関係であると言っていいだろう(右図参照)。多くのサラリーマンは意識していないが、ここは重要なポイントである。
さらに、働かないオジサンは、会社の仕事に対する意味を失っているので、社会と間接的にもつながっていない。切れているといっていいだろう。
それでも会社という枠組みの中にいれば、何とか安心感を得ることができる。しかし会社から離れると、社会と何の関係も持っていないことが露呈して、自己のアイデンティティに悩み、自分の居場所のなさに戸惑うのである。
そう考えると、働かないオジサンの定年退職後の行く末は、厳しくなることが予想される。冒頭に紹介したシュミットも、定年後は、社会とのつながりが完全に切れた状態だった。唯一、彼はアフリカの子供たちを援助するプログラムをテレビで知り、6歳の少年ンドゥグの養父になって、彼に手紙を書くようになっていただけである。
社会とつながれば、生涯現役へ
個人事業主が社会とつながるためには、自分自身の得意分野を把握して、社会の要請(顧客のニーズ)に結び付けることが求められる。簡単な数式でいえば、
X(自分の得意技)+Y(社会の要請・顧客のニーズ)
ということになる。
しかしサラリーマンの場合は、Y(社会の要請・顧客のニーズ)は、自分で掘り起こさなくても働いている会社が与えてくれる。社会的な要請に直接インターフェイスを持っているのは、あくまでも会社である。
私は現在、半分はサラリーマン、半分は執筆などのフリーランスという生活を送っている。フリーランスとして本格的に動き始めたのは、50歳になってからだ。そのときに、最も難儀したのは、このYの部分だった。
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